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 トップページシリーズ長崎県の歴史シーボルト宅跡 0407シーボルト宅跡
長崎県の歴史シリーズ

シーボルト宅跡
所在地
長崎県長崎市鳴滝2丁目
→JR長崎駅から市内電車蛍茶屋行き、「新中川町」下車
歴 史
宅跡の隣にあるシーボルト記念館は、長崎市が設置し、平成元年10月に開館しました。入館料100円、小中学生50円で開放されています。外観はオランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅を模して建てられています。
付近の歴史スポット
長崎眼鏡橋 わが国最古の石造りアーチ橋
外部リンク
シーボルト記念館 江戸時代に来日したシーボルトを顕彰
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居宅跡 書斎跡 倉庫跡 シーボルト胸像
シーボルトは二度長崎へ来ましたが、第一回目の1823年来日の時に居宅としてこの鳴滝を選び、其扇(楠本滝)と暮らしました。二人には、イネという子どもが生まれました。
この書斎跡を含めた一帯は、国指定史跡です。
倉庫跡にはわずかに石組みが残っています。
宅跡の中央には晩年のシーボルトの胸像があります。


記念館入口のシーボルト像
シーボルトは1796年2月17日、ドイツのバイエルン州ヴュルツブルク市の医学者の家に生まれました。ヴュルツブルク大学時代には、医学をはじめ植物学、動物学、地理学、人種学などさまざまな学問を身につけていました。27歳の時来日しましたが、滞在中は其扇(楠本滝)という女性とともに暮らし、一女(イネ)をもうけました。6年後、幕府から追放処分を受け、帰国しましたが、その間、鳴滝塾を開き日本の若者を教育したりもしました。帰国後は、日本から持ち帰った資料の整理を行い、『日本』『日本動物誌』『日本植物誌』のいわゆるシーボルト三部作を刊行しました。1845年、ベルリンでヘレーネ・フォン・カーケルンという女性と再婚し、3男2女をもうけました。彼の二度目の来日は、その時生まれた長男のアレクサンダーを伴ってのものでした。2年7ヶ月の滞在でしたが、その間長崎で開業医をしていたイネとも再開しました。帰国4年後にミュンヘンで亡くなりました。

 シーボルト記念館は、日本の近代化に貢献したシーボルトを顕彰するために長崎市が設置し、平成元年10月に開館しました。入館料100円、小中学生50円で開放されています。玄関はシーボルトの祖父であるカール・カスパル宅を
外観はオランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅を模して建てられています。3階建てで1階は玄関ホールとロビー。2階は常設展示室です。ここでは、シーボルトの生涯を6つのコーナーに分けて展示しています。それぞれ「1当時の世界と日本」「2東洋への関心」「3日本研究と医学教育」「4江戸参府前後」「5帰国と再渡来」「6子孫と顕彰」です。3階は企画展示室と収蔵庫です。
シーボルト記念館
日本の近代化に貢献したシーボルトを顕彰するために長崎市が設置。平成元年10月に開館しました。入館料100円、小中学生50円で開放されています。この玄関はシーボルトの祖父であるカール・カスパル宅を模しています。外観はオランダ・ライデン市にあるシーボルト旧宅を模して建てられています。
0406諫早眼鏡橋 0408島原城
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