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 トップページシリーズ長崎県の歴史日本二十六聖人殉教地 0404日本二十六聖人殉教地


「人若し我に従はんと欲せば 己を捨て十字架をとりて我に従ふべし」
という聖書の言葉が刻まれています
長崎県の歴史シリーズ

日本二十六聖人殉教地
所在地
長崎県長崎市西坂町7-8
→JR長崎駅を出て、国道をはさんだ正面に見えるのが西坂の丘です。長崎駅より徒歩3分くらい。
歴 史
1597年、西坂の丘で、外国人神父6人を含む26人が十字架にかけられて殺されるという日本初の殉教がありました。この殉教者たちは日本26聖人と呼ばれています。最初に捕らえられたのは24人でした。時の支配者豊臣秀吉は、彼らを長崎で処刑することに決め、さらに人々への見せしめのために、彼らは京都で耳そぎを受け、京都・大阪などの町を引き回されました。長崎への道中、ペトロ助四郎とフランシスコ吉の二人が自ら進んで加わり、26人となり長崎へ到着しました。西坂の丘に26本の十字架が立てられ、そこに26人が架けられました。執行人たちは槍を持ち2人づつ一組になって十字架の両端に立ち、同時に突き刺して処刑をしていきました。こうして一人ずつ処刑されていったのですが、結果26人が全員信仰を捨てることなく殉教していったのでした。
付近の歴史スポット
出島オランダ商館跡 鎖国時代、オランダ商館員が居住した小さな島
外部リンク
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二十六聖人教会 西坂の丘より長崎港を望む 歌碑
天国の夕焼を見ずや地は枯れても
 水原秋桜子
たびの足はだしの足の垂れて冷めゆる
 下村ひろし
西坂の丘より長崎港方向の写真です。正面の赤い橋は旭大橋。画面左端の方に長崎駅があります。港の奥の方に客船「ダイヤモンドプリンセス」が見えます。
西坂の丘、殉教地の隣には記念館と教会があります。記念館には、隠れキリシタンの遺物やフランシスコ・ザビエル自筆の書簡などが展示されています。この教会は、昭和37年(1962)列聖100年を記念して、記念碑・記念館とともに建てられたもので二つの大きな尖塔は、天の門を意味しているのだそうです。
0403亀山社中の跡 0405長崎眼鏡橋
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