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059-7
後楽園
大立石 |
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059-8
後楽園
茂松庵 |
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060-1
岡山城 |
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060-2
岡山城
廊下門 |
岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
この石組みは、瀬戸内海から、92個に分割したうえでわざわざここまで運んできました。そして、もういちど組みなおしたものです。 |
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かつては、老松がこの庵の前にあったことから、茂松庵と名づけられました。後楽園を代表する茶室ということです。
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後楽園側から旭川を渡る途中から撮影しました。この橋は、月見橋といいます。このように、後楽園に面する側は旭川を背にしています。兵法いう「後堅固の城」です。
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表書院から本段に渡してある廊下橋の下にある門なので、廊下門とよばれています。この門は、鉄筋コンクリート造りで、昭和41年に再建されました。
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060-3
岡山城
月見櫓 |
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060-4
岡山城
表書院跡 |
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060-5
岡山城
不明門 |
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060-6
岡山城
六十一雁木上門 |
岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
国の重要文化財に指定されています。三層ではありますが、二階建ての隅櫓です。地階は貯蔵庫となっています。外側からは、千鳥破風や石落としが見られます。1620年代の建築と伝えられています。
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この場所には藩主の政庁、また外来のお客を接待するための表書院がありました。室数65、畳数850という壮大な建物があったということです。
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表書院から本段(藩主の館)に通じる石段の入口にあった門です。平素の移動は、渡り廊下を利用していたということで、この門はほとんど使用されていなかったことから、このような名がつけられました。昭和41年、鉄筋コンクリート造りで再建されました。
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この門は、本段から川手へ降りていく石段への出口に設けられたもので、段数が61あることからこの名がつけられました。
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060-7
岡山城
天守閣 |
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061-1
岡山城
内目安橋 |
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061-2
岡山城
内堀 |
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061-3
岡山城
大手門跡 |
岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
戦後の再建ではありますが、外観は当時を忠実に再現してあります。あの織田信長の安土城を模して造られたという天守閣は、安土城同様に不等辺五角形の天守台にそびえています。昭和41年竣工。
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大手門前、内堀に架かる橋です。かつては、この橋のたもとに目安箱(投書箱)が設置されていたので、このような名前がつきました。
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岡山城の内堀です。現在でも水をたたえています。尚、外堀は旭川を利用した自然のものです。但し、築城に際して流路は変えています。隣接する後楽園は、その旭川の中洲に造られています。
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岡山城の正門だったところです。内目安門ともよばれていました。写真のように枡形(城の防備のため、入口の石垣を屈曲してつくり、二重に門を設けたつくり)になっており、入口の高麗門と西奥の櫓門のふたつからなっていました。
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061-4
岡山城
鉄門跡 |
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061-5
岡山城
天守台の石垣 |
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061-6
岡山城
天守閣の礎石 |
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061-7
岡山城
天守閣 |
岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
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岡山県岡山市 |
ここにあった櫓門は、木部の全体を鉄板でおおった門でした。よって、このような名前が付けられています。
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岡山城の天守台の石垣は、このように野面積みです。一見粗雑に見えますが、逆にそれが荒々しさを兼ねた荘重なつくりに見えます。昭和20年(1945)6月29日の空襲によって、天守閣が焼失した際、天守台の石も赤く変色してしまいました。その後再建されて現在に至っているのですが、現在も焼けて変色した石が多く見られます。
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天守閣は江戸時代から存続し続けましたが、昭和20年(1945)の戦災で惜しくも焼失しました。その後、昭和41年(1966)に再建されましたが、鉄筋コンクリート造りになったので、もとあった礎石をこの位置(天守閣前、本殿の一区画)に元通りに配置して並べてあります。
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野面積みの石垣を持つ天守台は、北に大きく突き出た不等辺五角形をしており、全国的にも珍しいつくりとなっています。その上にそびえる天守閣は、あの織田信長の安土城を模して造られたといわれるもので、二階建ての建物を大中小の三つに重ねた三層六階となっています。外観は下見板が黒いため、全体的に黒めで、烏城(烏とはカラスのこと)とよばれています。昭和6年には国宝に指定されましたが、昭和20年の空襲によって惜しくも焼失しました。昭和41年に再建されましたが、外観は建築基準の問題で出入り口を二箇所設けた以外は、築城当時と変わりません。
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062-1
銀閣寺
総門 |
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062-2
銀閣寺
庫裏 |
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062-3
銀閣寺
庭園 |
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062-4
銀閣寺
向月台 |
京都府京都市左京区 |
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京都府京都市左京区 |
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京都府京都市左京区 |
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京都府京都市左京区 |
銀閣寺の入口です。禅宗寺院の入口は総門と呼ばれます。この総門をくぐり中門に至る約50メートルの道沿いには銀閣寺垣という石垣・竹垣・椿の生け垣があります。
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庫裡とは住職や家族の住まいで、また寺院の台所にあたる建物です。寺務所ともいいます。
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1万人を超える門弟がいたといわれている臨済宗相国寺派の開祖の夢窓国師は、築庭にも才があったようで、苔寺で有名な西芳寺の庭園などを手がけたといわれていますが、この慈照寺庭園はそれを模倣したものだそうです。庭園としては、池泉回遊式とよばれる分類に属します。
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この白砂を富士山型に固めた山は向月台(こうげつだい)といいます。これは、手前の銀沙灘とあわせて中国の西湖の風景をなぞらえたもので、大海原とその先に見える山を表しているそうです。このような名がついているのは、白砂が月光を反射して月の夜は美しい景色が見られるようになっています。残念ながら、現在では入場時間の関係でこの月景色を見ることはできません。
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