写真で見る日本の歴史
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053-3
亀山社中の跡
建物外観
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亀山社中の跡
建物内
053-5
亀山社中の跡
現地から見た市街地
054-1
金閣寺
総門
長崎県長崎市 長崎県長崎市 長崎県長崎市 京都府京都市北区
現在の建物は、当時の亀山社中として使われたものの一部も含めて、「亀山社中ば生かす会」という長崎市の市民グループが管理しています。入場無料で開放されています。
中央に坂本竜馬の写真があります。他にも竜馬ゆかりの資料や写真など、どれも貴重なものばかりが展示されています。
亀山社中跡から、長崎市街地の方向を見たときの写真です。亀山社中跡は、坂の街、長崎の高台に位置していますので、歩くと結構疲れます。また、さらにしばらく登った先に、風頭公園なる公園があって、そこにも竜馬像があります。
金閣寺の入口に当たる門です。禅寺(金閣寺は臨済宗)の表門は総門といいます。元々、この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘があったところでしたが、室町時代に三代将軍の足利義満が応永4年(1397)に譲り受けて、山荘北山殿をつくりました。義満の死後、夢窓国師を初代住職として鹿苑寺(義満の法号、鹿苑院殿から)と名づけました。
054-2
金閣寺
唐門
054-3
金閣寺
陸舟の松
054-4
金閣寺
夕佳亭
054-5
金閣寺
夕佳亭内部
京都府京都市北区 京都府京都市北区 京都府京都市北区 京都府京都市北区
金閣寺の唐門です。現在は使われておらず、一般の参拝客は違う入口を利用しています。
足利義満の盆栽だった松を植えて帆掛け舟の形に仕立てたと伝えられている木です。樹齢は600年以上といわれているそうです。
夕日に映える金閣が殊に佳いという意味から「夕佳亭」(せっかてい)と名づけられました。江戸時代に茶人、金森宗和が好んだといわれる建物です。この建物の前に、石灯籠と手水鉢がありますが、これは銀閣で有名な足利義政が愛用したものだといわれています。
数寄屋造で建てられています。数寄屋造とは、茶室風の様式でつくられた邸宅で、装飾を排した簡素さを特徴としています。正面の床柱は「南天の床柱」といい、有名なものです。
054-6
金閣寺
金閣
055-1
金閣寺
鏡湖池
055-2
金閣寺
漱清亭
055-3
金閣寺
巖下水
京都府京都市北区 京都府京都市北区 京都府京都市北区 京都府京都市北区
日本の象徴。誰もが知っている日本で最も有名な建物のひとつです。三階建てで、一階は寝殿造、二階は武家造、そして三階は唐様(禅宗様)です。三つの建築様式を調和させた珍しい造りをしています。二階・三階には金箔を全面に施していますので金閣といわれていますが、本来は舎利殿といって仏の遺骨を安置する建物なのだそうです。
金閣寺は、足利義満が西園寺家からこの地を譲り受けた時に、その庭園に手を加え、この鏡湖池を中心とした美しい池泉回遊式庭園を完成させました。背後の衣笠山を借景にして、美しい景観をつくっています。
漱清亭は、寝殿造である金閣の第一層(法水院)の西側に突き出た釣殿です。釣殿とは、庭園の池にはりだして作られた水上建築で、夏の暑さをしのぐ涼み殿のことです。
足利義満が手を洗う時に利用したと伝えられている泉です。現在でも豊富に水をたたえていました。
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金閣寺
竜門の滝
055-5
金閣寺
白蛇の塚
055-6
金閣寺
不動堂
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薬師寺
東塔と金堂
京都府京都市北区 京都府京都市北区 京都府京都市北区 奈良県奈良市
足利義満がお茶の水に利用したと伝えられています。正面の滝を登りきろうとしている鯉の形をした石を「鯉魚石」といいますが、これは鯉が滝を登りきると竜になるという登竜門の故事から、庭園などに見られる人工の滝などに置かれているものです。

(山村直樹様より)
 「龍門」とは中国の長江(旧揚子江)の三峡の先に実在する地名で、古来 鯉がここを超えると出世するものと信じられていました。この故事が日本にも到来し、日本では子供への期待から(実際子孫に期待を寄せた故事でしょうから)五月に[鯉のぼり]をあげるようになったそうです。また「論語」でつとに知られる孔子様は そのお子に「鯉」と名付けていたそうです。
安民沢とよばれている池の中央につくられた白蛇の塚は、金閣寺ができる前にこの地を所有していた西園寺家の守り神といわれています。
弘法大師(真言宗の開祖、空海)が自ら制作したといわれている等身大の石不動明王が安置されています。金閣寺のいい伝えによると、参拝すれば、眼病の治癒に役立つとか。
薬師寺の伽藍の中で、東塔だけが創建時から存続している建物ですが、その後、昭和・平成期にかけて多くの建物が再建されてきています。金堂は、「龍宮造り」と呼ばれたほど美しかったとのことです。享禄元年(1528)の兵火によって焼失。昭和51年(1976)に再建されました。国宝の薬師三尊像や仏足石などが置かれています。
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薬師寺
鐘楼
056-3
薬師寺
大講堂
056-4
薬師寺
東院堂
056-5
薬師寺
東塔
奈良県奈良市 奈良県奈良市 奈良県奈良市 奈良県奈良市
東塔の北にある鐘楼です。「西の京の破れ鐘」といわれているそうですが...
平成15年(2003)3月、ついに待ちに待った薬師寺の大講堂が復元されました。幅41m、奥行20m、高さ17mです。創建時さながらの外観で、伝統工法によって建てられた木造建築物です。ただし、外観と裏腹に免震装置を設置したりしているなど、今後何百年もの自然災害に耐えうる工夫がなされてあります。
回廊の外側にある建物で見落としがちですが、この建物も国宝です。養老5年(721)に吉備内親王が母元明天皇の一周忌にあたって創建したと伝えられています。現在の建物は、弘安8年(1285)に再建されたものです。本尊は、金堂の薬師如来像とともに、白鳳文化の代表ともいえる聖観音像です。
この塔は、薬師寺の創建当初から存続している建物で、非常に価値が高いものです。六重に見えますが、それは各階に裳階(もこし)という飾り屋根があるからで、実際は三重です。てっぺんの水煙は、非常に有名なもので、芸術的な価値も非常に高いものがあります。
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