写真で見る日本の歴史
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金沢城
橋爪門・橋爪橋
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金沢城
菱櫓・五十間長屋
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金沢城
菱櫓天井
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金沢城
極楽橋
石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市
この三の丸堀にかかるのが橋爪橋で、その先が橋爪門です。二の丸への入り口として非常に重要な門でした。ここをくぐって二の丸へ入ることができたのは城主の側近に限られていました。そのため、厳重な警備がなされていました。
高麗門仕様の「一の門」をくぐると櫓門仕様の「二の門」があります。いわゆる枡形になっています。
二の丸側から見た五十間長屋と菱櫓です。菱櫓はその名の通り建物全体がひし形になっています。写真でもわかるように金沢城にみられる特徴的な城壁の模様は瓦を漆喰で固めてあるためで、「なまこ壁」とよばれているものです。
菱櫓が実際にひし形になっているのは、外からは良くわかりませんが、内部の天井を見るとよくわかります。100度と80度のひし形で、その目的は大手門と石川門に対して真正面を向くようにするためや、実際より大きく見せるため、またひし形の櫓という非常に高い技術を要する建造物を建てることで、権力を誇示することができるためといわれています。
二の丸から本丸へつながる橋で、金沢城内ではっきりとした名前が付いてある橋があるのは珍しいそうです。
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金沢城

三十間長屋
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金沢城
鉄門跡
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金沢城
本丸
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金沢城
戌亥櫓跡
石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市
宝暦火災(1759年)の後は長く再建されませんでしたが、安政五年(1858年)に再建されました。高い土台に板敷きであることから、武器・弾薬の倉庫として使用されていたのではと考えられています。
昭和32年(1957年)に国の重要文化財に指定されました。
 
本丸へ向かう際の正門跡です。創建時には、渡し櫓をのせ、鉄板を貼り付けた重厚で立派な門扉があったので、このような名前が付けられていました。
古くは金沢御堂があったこの本丸跡地に、先ず天正8年(1580年)佐久間盛政が入城し尾山城を築きました。
天正11年(1583年)に前田利家が入城してからは金沢城と改め、この地に天守閣を設けました。しかし、慶長火災(1602年)で焼失した後は再建されず、代わって三階建ての櫓が建てられていましたが、宝暦火災の時に焼失しました。現在は、深い森に囲まれていますが、それまでは本丸御殿もおかれており、金沢城の中心となっていました。
戌亥の方角(北西)の角に設けられた櫓跡です。宝暦火災で焼失の後は再建されませんでした。
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金沢城
鶴丸倉庫
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兼六園
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兼六園
徽軫灯籠と虹橋
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兼六園
日本最古の噴水
石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市
鶴丸はこれより一段下のエリアになりますが、いつからか「鶴丸倉庫」と呼ばれるようになりました。ここには江戸時代には土蔵が建てられていたそうですが、現存するこの倉庫は、少なくとも明治初頭にはあったそうです。
水戸の偕楽園・岡山の後楽園と並び称される日本三名園の一つです。国指定特別名勝、総面積は約11万u、最初の庭は、延宝年間(1676〜81年)加賀5代藩主、前田綱紀の時代につくられました。兼六園の名前の由来になった六勝兼備とは、中国で名園の条件といわれた、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望という簡単には兼ねることのできない6つの景観を兼ね備えた庭のことです。1822年、寛政の改革で有名な、松平定信が命名しました。
徽軫(ことじ)とは、琴の糸を支える琴柱のことです。灯籠の足が琴柱に似ていることから名づけられました。その前に架かる虹橋を琴に見立てた景観は、兼六園の象徴となっています。
文久元年(1861年)に造られた日本最古の噴水です。霞ヶ池を水源に高低差を利用した自然の水圧で、高さ3.5mまで吹き上がります。
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兼六園
瓢池
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兼六園
夕顔亭
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兼六園
時雨亭
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兼六園
霞ヶ池
石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市
池の中ほどがくびれているので瓢単(ひさご・ひょうたん)の名前が付けられました。中の島(写真右端)には、豊臣秀吉から贈られたといわれる海石塔が立っています。
安永3年(1774年)に建てられた茶室で園内でも最も古い建物です。瓢池のほとりにあります。中には夕顔の透かし彫りがありますので、この名が付けられました。
茶の湯などに利用されていた兼六園内の別荘です。明治時代に取り壊されましたが、2000年に復元されました。現在は、茶店として利用されており、お茶や和菓子などが味わえます。
天保8年(1837年)に掘り広げられた園内最大の池で、広さは5800平方メートルあります。水面に影を落とす木々がすばらしいです。池のほとりにはこの池をつくった際に出た土を使った築山(「さざえ山」といいます)があります。
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兼六園
七福神山
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兼六園
日本武尊の像
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兼六園
根上がりの松
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兼六園
曲水
石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市 石川県金沢市
1822(文政5)年に建てられた竹沢御殿から眺めた築山です。並べられた自然石は恵比須・大黒天・寿老人・福禄寿・布袋・毘沙門天・弁財天にみたてています。
1877(明治10)年、西南の役で戦死した郷土出身の将兵を祭った記念碑として、1880(明治13)年に建てられました。銅像の身長5.5メートル、台石の高さ6.5メートル。
13代藩主前田斉泰のお手植えといわれる松です。大小40本もの根が高さ2メートルまで盛り上がっています。盛り土の上に松を植え、その後で土を取り除いたそうです。
辰巳用水、1632(寛永9)年、金沢城の濠の水や防火用水として、3代藩主前田利常の命により造られました。犀川の上流から約10キロメートルにわたって引かれました。工事の設計施工は小松の町人板屋兵四郎といわれます。
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