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姫路城 Himeji Castle

 

姫路城

姫路城 Himeji-jo ( Himeji Castle )

国宝、世界文化遺産。平山城。別名「白鷺城」といいます。赤松氏が14世紀に砦として築城したのがはじまりです。その後、小寺氏の城主時代を経て、1580年、羽柴(豊臣)秀吉が西国攻略の拠点として3層の天守を築きました。関が原の合戦後の1601年に池田輝政が築城したのが現在の姫路城です。

 

姫路城 大手門

大手門 Ote Mon ( Main Gate )

大手口にある門なので、大手門といいますが、桐二ノ門が正式名です。伏見城からの移築といわれています。

 

姫路城 西の丸西の丸 Nishinomaru

徳川秀忠の姫君、千姫ゆかりの西の丸は化粧櫓や長局(百間廊下)がその時の名残を残しています。千姫はここで幸せな日々を過ごしたといわれています。この西の丸は、千姫に仕えた女中などが居住していたところで、女の館ともいわれます。従って、特に夜は厳重な警備がなされていました。現在は渡櫓の中を通っていくことができ、当時の部屋を(男性でも)見ることができます。

 

姫路城 百間廊下

西の丸長局 Hyakken Roka ( Long-Hallway)

千姫ゆかりの西の丸は化粧櫓や長局(百間廊下)がその時の名残を残しています。

 

千姫と化粧櫓

千姫と化粧櫓 Sen-Hime ( Princess Sen-Hime )

徳川2代将軍秀忠の姫君、千姫ははじめ豊臣秀頼に嫁ぎましたが、豊臣氏滅亡のときに助け出されました。その後、姫路城主本多忠政の子、忠刻に再嫁しました。その時将軍家よりもらった化粧料10万石でこの櫓をつくったとされています。毎朝、千姫は城の西北にある男山天満宮を遥拝したといわれ、その休憩所にこの化粧櫓を利用したといわれています。

 

銀閣寺 本堂

菱の門 Hishi no Mon ( Diamond Gate )

二の丸正門ともいうべき門です。漆塗りの火燈窓があります。

 

姫路城

西の丸から二の丸

「ろ」の門より「は」の門へいたる途中で撮影。正面には天守閣がみえます。

 

姫路城 はの門

「は」の門 Ha no Mon ( "Ha" Gate )

正面には「はの門」が見えます。礎石には、石が不足していたのか灯篭の台石を転用したものを使用しています。漆喰で固めた壁には、三角形の孔がみられますが、これは狭間(さま)といって、外をうかがい、矢弾を放つための小窓です。多くの城郭に見られます。矩形、円形など様々な形のものがあります。

 

姫路城 にの門

「に」の門 Ni no Mon ( "Ni" Gate )

「に」の門へ。狭く曲がりくねった路と高い石垣、そして多くの門によって固い守りを可能にしているのがわかります。

 

姫路城 天守閣

天守閣 Tenshukaku ( Donjon )

姫路城の大天守は、3つ(東・乾・西)の小天守とそれらを渡櫓で結んだ連立式とよばれるもので、非常に美しい姿をしています。全国の現存する、または再建された天守閣の中においても、最も美しい姿をしているといっても良いのではないでしょうか。

 

姫路城 天守閣

天守閣地下 Tenshukaku ( Donjon )

外観五重、内部六階、地下一階の大天守は、14,7mの石垣上に31mの高さでそびえたっています。内部中央には東西二本の大柱が地下から伸びています。この大柱は地階で見ることができます。昭和の大修理の時は、西大柱の取替え作業で多くの困難に直面しました。

 

データDeta /アクセスAccess

所在地 Address 姫路市本町68番地 姫路城三の丸広場北側
交通 JR・山陽電鉄の各姫路駅から北へバスで5分、徒歩で約25分
URL 姫路市|姫路城公式ホームページ(姫路城大図鑑)
別名 白鷺城
城郭構造 渦郭式平山城
天守 連立式望楼型5重6階地下1階
築城主 赤松貞範
築城年 1346年(南朝:正平元年、北朝:貞和2年)
主な改修者 黒田重隆・羽柴秀吉・池田輝政
主な城主 小寺氏・黒田氏・池田氏・本多氏・酒井氏
文化財指定等

日本100名城(59番)

日本三名城

世界文化遺産「姫路城」

国指定特別史跡

現存12天守(国宝)

国宝(大小天守・渡櫓等8棟)

国指定重要文化財(櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟)

 

2015/08/24 現在

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