フランス人宣教師のフューレ神父は、文久3年(1863)、同じ宣教師のプチジャン神父の協力を得て、天主堂の建設を行いました。元治元年(1864)竣工、翌年の慶応元年(1865)に落成式が行われました。正式には「26聖殉教者天主堂」といいます。日本26聖殉教者とは、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって捕らえられ、長崎の西坂の丘(長崎駅近く)において慶長2年(1597)に処刑された26人の信徒たちのことです。この天主堂は、その西坂の丘に向けて建っています。長崎の歴史的建造物は、少なからず昭和20年(1945)の原爆投下によって被害を受けていますが、この大浦天主堂も例外ではなく、窓に飾られたステンドグラスなどが破壊されました。