写真で見る日本の歴史
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会津若松城1
会津若松城
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会津若松城1
武士道の碑
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会津若松城1
内堀
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会津若松城1
北出丸入口
福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市
蘆名直盛が至徳元年(1384)にこの地に東黒川館を造ったのがはじまりです。以降、江戸時代をとおして会津若松城は隆盛を誇っていましたが、戊辰戦争における会津での戦いで約1か月の籠城銭で傷つき、破却されました。天守閣はその後、昭和40年(1965)に外観を復元されて再建されました。 『会津士魂』21巻を書き上げた早乙女貢氏の揮毫によって、鶴ヶ城北出丸入口に会津復古会の設立35周年を記念して建立されました。台石は外堀の角石でつくられています。 会津若松城の二の丸や北出丸、西出丸と本丸を隔てる堀です。本丸へは、北出丸を経由する椿坂(横手坂)と西出丸を経由する梅坂(知期理坂)がメインとなります。他に、二の丸と本丸を結ぶ廊下橋もかけられています。
ここに北出丸追手門がありました。桝形になっています。ここを通ると北出丸に入ります。北出丸は寛永16年(1639)に北馬出を出丸に造り替えたものです。北出丸に侵入した敵は、三方からせん滅することができたので「鏖丸(みなごろしまる)」ともいわれていました。
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会津若松城1
武徳殿
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会津若松城1
椿坂
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会津若松城1
太鼓門(大手門跡)
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会津若松城1
鶴ヶ城歴代城主家紋
福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市
北出丸にある武道場です。昭和9年(1934)に建てられました。外観は二層になっていますが、平屋建ての建物です。 椿坂は北出丸と本丸を結ぶ位置にあります。別名(横手坂)。 北出丸から本丸に通じる大手門のことです。そこには多門櫓と呼ばれた櫓が建てられていました。胴の径五尺八寸(約1.8m)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、その他の合図に使用されていたことから太鼓門と呼ばれていました。 初代葦名氏(丸に三つ引両)、2代伊達氏(竹に雀)、3・5代蒲生氏(三つ巴)、4代上杉氏(竹に二羽飛び雀)、6代加藤氏(下り藤)、7代保科氏および松平氏の歴代城主の家紋が掲示されています。
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会津若松城1
天守閣1
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会津若松城1
武者走り
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会津若松城1
鶴ヶ城稲荷神社
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会津若松城1
本丸埋門跡
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外観復元天守。戊辰戦争中の最大の激戦、会津戦争で小田山に据えられた砲台から連日大砲の雨を受けましたが、一か月の籠城に耐えたお城です。 この石垣は、鶴ヶ城(会津若松城)の大手門の渡り櫓などへ簡単に「昇り」「降り」ができるように造られています。V字型に造られおり、「武者走り」とも呼ばれ鶴ヶ城石垣の特色の一つです。(説明板による) 約600年前に創建。当時は三の丸にあったそうですが、その後移されて現在の地にあります。伝説によれば、築城の縄張りに苦心した芦名直盛が田中稲荷神社に祈ったところ、霊夢があり、目覚めてみると雪に狐の足跡があり、それをたどって築城の縄張りを決めたということです。 本丸奥御殿の北側から本丸帯郭に通じる桝形の門です。もともと創建時は表門でしたが、寛永16年(1639)の加藤明成による改築後は裏門となりました。
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会津若松城1
野面積み石垣(天守台)
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会津若松城1
天守閣2
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会津若松城1
天守閣3
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会津若松城1
天守閣4
福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市
天守台の高さは約11m。自然石の表面を加工することなくそのまま石垣に使用する積み方を「野面積み」といいます。初期の城郭に使用され、後に「切り込みハギ積み」や「打ち込みハギ積み」などが主流になっていきますが、この野面積みもなかなか景観的には捨てがたいものがあります。
天守台の高さが11m。天守の高さが25mですから、地上からは約36mもの高さがあります。天守台石垣の崩壊を防ぐため、現在の天守閣が造られる時に、天守閣内に柱を通し、その柱だけで建物部分を支える構造になっています。 再建された干飯櫓付近から撮影。木立の間からううくしい天守閣が見えます。 天守閣の最上階部分です。白亜の天守閣に紅い高柵が美しく引き立っています。最上階からは、白虎隊士中二番隊の少年たちが自刃した飯盛山をはじめ、新政府軍が砲台を築いた小田山や会津若松の市街地などが一望できます。
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会津若松城1
表門(外側)
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会津若松城1
表門(内側)
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会津若松城1
切り込みハギ(表門)
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会津若松城1
走り長屋
福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市 福島県会津若松市
本丸の帯郭と奥御殿とを隔てる門です。写真は外側(帯郭側)から撮影したものです。扉や柱が鉄で包まれていたことから鉄門ともよばれています。厳重なつくりになっていました。
向って右側が「走り長屋」、左側が「南走り長屋」です。この二つの建物を渡り廊下で結んだその下に表門があります。
表門は切り込みハギ積みで石垣にも精巧な加工が施されています。隙間に小さな石を使っていて、なおかつそれまでも平らに加工してあり、見ごたえがあります。大変な手間がかかったことでしょう。 天守閣と直結する多門櫓です。内側は窓がありません。会津戦争の後、解体されましたが、その後再建されました。帯郭と天守閣、奥御殿を隔てる場所にあり、重要な櫓といえます。往時は武器庫として利用されていました。
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