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176-4
福岡城 鉄御門跡
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176-5
福岡城 大天守台登り口
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176-6
福岡城
大天守礎石
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176-7
福岡城
大天守台より中、小天守
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
天守へはこの門をくぐります。窮屈で、守るに固い厳重な門だったことでしょう。 |
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このように階段が取り付けられています。この階段を上って、天守へと行くことができます。 |
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礎石までが残されており、天守閣が造られなかったのが不思議です。有事の際、すぐに造ることができるようにしておく工夫でしょうか。それとも、やはり天守閣があったという説が本当なのでしょうか。 |
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大天守台から中・小天守の眺めです。本当に天守閣があったとすると、壮観な建築だったということがうかがえます。真相は不明です。 |
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177-1
鴻臚館跡 鴻臚館跡展示館
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177-2
鴻臚館跡
展示館内の遺跡1
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177-3
鴻臚館跡 展示館内の遺跡2
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177-4
鴻臚館跡 鴻臚館の礎石建物跡
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
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福岡県福岡市中央区 |
入館無料。昭和62年(1987)に平和台球場の改修工事の際に見つかった鴻臚館跡を展示するところです。中は、発掘された遺跡や復元建物などがみられます。 |
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鴻臚館とは古代の迎賓館のことで、外国からの要人をもてなすのに使用されていました。平安京、難波そしてここ筑紫の三か所にありましたが、この筑紫にあった鴻臚館、筑紫舘は持統2年(688)に新羅の国使、全霜林をもてなしたという記述が『日本書紀』にあらわれて以来、数百年もの間存続していたことが確認されています。
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鴻臚館跡の遺跡からは、奈良時代以前の塀と門、奈良時代の塀と掘立柱建物跡、平安時代の礎石建物跡などが確認されています。また、中国やイスラム世界の陶磁器などが出土しています。 |
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展示館の周囲にもこのように、大規模な礎石建物の跡が残されています。細長い回廊のような建物のように感じられます。 |
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178-1
総角
宇治十帖「総角」 |
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178-2
総角 総角之古蹟1 |
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178-3
総角
総角之古蹟2 |
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179-1
早蕨
宇治十帖「早蕨」 |
京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
「総角」は宇治十帖の3、源氏物語第47帖にあたります。大君は薫の求婚を拒み、妹である中の君をすすめますが、薫は中の君と匂宮が結ばれることによって、大君の心を得ようとしました。結果、匂宮と中の君は結ばれますがうまくいかず、悲しみのあまり病の床についた大君は薫の看病むなしく、亡くなってしまいました。
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源氏物語で、八の宮の山荘があったとされるのは平等院の向かいの岸、宇治上神社の北側、大吉山の登り口のこのあたりだったとされています。
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現在の碑は、昭和45年(1970)に建てられました。 |
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「早蕨」は宇治十帖の4、源氏物語第48帖にあたります。中の君は父と姉を相次いで亡くし、悲しんでいました。その後、匂宮の二条院に迎えられ、幸せな日々を送っていました。夕霧(光源氏と葵上の子)は娘の六の君を匂宮に嫁がせるつもりでしたが、かなわなかったので、代わりに薫に嫁がせようとしましたが、これも辞退されます。薫は、中の君のもとを訪れ、父の八の宮や大君のことを語り合いますが、その様子をみた匂宮は二人の仲を疑いはじめます。
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179-2
早蕨
早蕨之古蹟1 |
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179-3
早蕨
早蕨之古蹟2 |
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179-4
早蕨
早蕨之古蹟3 |
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179-5
早蕨
さわらびの道 |
京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
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京都府宇治市 |
場所は何度か変わったそうですが、現在は宇治上神社の北側の散策道沿いにあります。石碑が二本立っています。
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こちらの石碑は、次の写真に示す石碑と違って、宇治十帖古跡である十か所すべてにあったわけではありませんでした。 |
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こちらの細長い形の石碑は、宇治十帖古跡の十か所すべてにありました。この早蕨の古跡にはふたつともそろってあります。 |
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早蕨の古跡沿いの散策道は「さわらびの道」といわれています。観光客が特に行きかう道で、他にもお土産屋さんや總角の古跡、源氏物語ミュージアムなどがあります。 |
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180-1
長崎平和公園 長崎平和公園 |
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180-2
長崎平和公園
平和の泉 |
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180-3
長崎平和公園
浦上刑務支所遺構1 |
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180-4
長崎平和公園
浦上刑務支所遺構2 |
長崎県長崎市 |
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長崎県長崎市 |
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長崎県長崎市 |
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長崎県長崎市 |
長崎の浦上地区。その中心地である松山町にあります。原爆落下中心地である爆心地公園の北側の小高い丘にあります。公園中央のこの銅像は平和祈念像といいます。毎年8月9日にこの像の前で平和祈念式典が行われます。
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「水を」「水を」とうめき叫びながら死んでいった痛ましい霊に水を捧げて、冥福を祈り、あわせて世界恒久平和を祈願するために建てられました。刻々と変化する水形は、平和のはとの羽ばたきを形どり、鶴の港といわれる長崎港の鶴も象徴しています。
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松山町・岡町・橋口町の三ヶ町にまたがる丘の上にありました。現在の平和公園があるところです。敷地約2万平方メートル、庁舎面積1.3万平方メートルの広大な施設でした。爆風と火災により、一瞬にして全施設が全壊、全焼しました。所内にいた全員(134名)が即死しました。 |
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周囲の高さ4メートル、厚さ25センチメートルの壁は、このようにほとんど根元から倒壊し、炊事場の煙突1本を残して全壊しました。 |
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