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190-4
山科疏水の道2
日本初の鉄筋コンクリート橋の碑 |
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190-5
山科疏水の道2 本邦最初鐵筋混凝土橋 |
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190-6
山科疏水の道2 けあげ25分〜45分 |
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190-7
山科疏水の道2 第三トンネル東口 |
京都府京都市山科区 |
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京都府京都市山科区 |
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京都府京都市山科区 |
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京都府京都市山科区 |
「日本最初の鉄筋コンクリート橋」とあります。後に立てられたもので、この碑とは別にこの橋を顕彰する碑が建てられています。 |
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「本邦最初鐵筋混凝土橋」こちらの石碑がオリジナルです。 |
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この橋を渡り険しい山道を抜けると蹴上に着きます。25分から45分かかり、途中急坂が何箇所かあると記されています。南禅寺までも40分から60分。行くべきか行かざるべきか迷うほど道の先はひっそりとしています。 |
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日岡峠トンネルともいい、長さは849mあります。このトンネルを抜けるといよいよ京都の中心部へ。疏水関連施設が集中する蹴上付近に出ます。 |
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190-8
山科疏水の道2 過雨看松色 |
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191-1
等持院
山門 |
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191-2
等持院 参道 |
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191-3
等持院 マキノ省三像 |
京都府京都市山科区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
第三トンネルの東口に掲げられています。明治の元勲、松方正義によるもので、「かうしょうしょくをみる」と読みます。時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる(唐・盧綸の詩の引用)という意味です。 |
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京福電鉄(通称「嵐電(らんでん)」)の等持院駅から北へ歩くと見えます。等持院の入口です。この等持院は、紅葉の隠れ名所。また、足利尊氏をはじめとした室町幕府の歴代将軍の像を安置する霊光殿があります。夢窓疎石の作と伝えられる庭園も見事。
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山門から等持院の入口までの長い参道は紅葉で彩られています。 |
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「日本映画の父」とよばれる人物。碑文によると、大正13年に最初の映画撮影所をこの等持院に創設したとあります。昭和45年7月23日の建立。 |
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191-4
等持院 入口 |
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191-5
等持院 庫裏 |
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191-6
等持院 元天竜派管長関牧翁筆・祖師像 |
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191-7
等持院 方丈前庭 |
京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
「名勝庭園、史跡木像、等持院」と書いてあります。この門をくぐったすぐのところに庫裏と方丈が建っています。 |
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外観は、天龍寺や相国寺といったところの造りと似ています。紅葉に彩られて鮮やかです。 |
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天龍寺派の元管長、平成3年(1991)に87歳で没した関牧翁による祖師像です。同じものが天龍寺にもあったと思います。 |
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方丈は元和2年(1616)に福島正則が妙心寺塔頭の海福院から移築したものといわれています。この前庭(南庭)をのぞむ広縁には参拝客が座って休んでいました。 |
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191-8
等持院 心字池1 |
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192-1
等持院 心字池2 |
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192-2
等持院 紅葉の名所 |
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192-3
等持院 清漣亭 |
京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
夢窓国師の作と伝えられ、草書体の「心」の字をかたどって造られているため、「心字池」とよばれています。日本三大名園のひとつに数えられるらしいです。 |
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心字池の周辺は紅葉の時期になると、鮮やかな紅葉で彩られます。
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等持院は紅葉の隠れ名所ともいうべきところです。境内は紅葉で彩られますが、シーズンでも観光地からは離れているせいもあり、割と人も少なくゆったりと楽しめます。 |
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方丈の北背、書院の東にあたる美しい林泉の西北の小高いところに茶室精漣亭があります。都林泉名勝図絵に義政公(室町幕府8代将軍)好みとある珍しい武家床の貴人席です。 |
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192-4
等持院 等持院形の灯籠 |
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192-5
等持院 足利家十五代供養塔 |
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192-6
等持院 足利尊氏の墓 |
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192-7
等持院 霊光殿 |
京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
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京都府京都市北区 |
この灯籠は等持院形として有名との事です。 |
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等持院は足利将軍家歴代の菩提所として有名で、室町幕府15代の将軍の供養塔が建てられています。また、左右には句碑が建てられています。左側は、香川県小豆島が生んだ天才俳人赤松柳史の句碑「煩悩はたえず南瓜を両断す」。左側はその赤松柳史の高弟青山柳爲師の句碑で、「芙蓉池に風あるやなし落花舞ふ」とあります。 |
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ここは、室町幕府初代将軍、足利尊氏公の墓です。延文3年(1358)4月建立と、今から約650年も前に建てられた古いものです。室町時代の代表的な形式をしています。 |
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弘法大師作の地蔵尊を本尊にし、左右に達磨大師と室町幕府歴代将軍の等身大の木像を安置しています。但し、五代と十代は除かれています。木像は江戸時代初期の作。また、石清水八幡宮から移したとされる徳川家康四十二歳の時の木像もあわせて安置されています。 |
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