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192-8
等持院 霊光殿内部 |
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193-1
赤穂城 三之丸外堀 |
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193-2
赤穂城
大手隅櫓1 |
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193-3
赤穂城 大手門 |
京都府京都市北区 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
本尊である地蔵尊を中心に左右に歴代の室町幕府の将軍像が安置されています。 |
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写真は、赤穂城を代表する櫓のひとつ、三之丸の入口、大手門に近い三之丸北東隅にある復元櫓です。赤穂城の縄張りは、本丸と二之丸は輪郭式、二之丸と三之丸の関係は梯郭式となっており、近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式とよばれる構造になっています。10の櫓と12の城門があったとされています。
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三之丸と城下の間に設けられた堀で、清水門から塩屋門西まで存在していました。廃城後は埋め立てられ、田畑となっていましたが、順次復元が進み、大手門前にもこのような堀があります。大手門へはこの堀をまたぐ橋を渡ってから入るようになっています。さほど大きくはありません。 |
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高麗門形式の大手門です。昭和30年(1955)に大手隅櫓とともに復元されました。桝形になっており、くぐった先にもうひとつ櫓門がありました。大手門桝形は、平成9年(1996)に復元されました。 |
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193-4
赤穂城 大手隅櫓2 |
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193-5
赤穂城 番所跡休憩所 |
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193-6
赤穂城
近藤源八宅跡長屋門1(部分) |
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193-7
赤穂城
近藤源八宅跡長屋門2(部分) |
兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
三之丸の入口、大手門に近い北東隅にある復元された櫓です。二層の構造で、赤穂城を代表する櫓となっています。南北3間半、東西4間半で、大手門防備の要となる櫓でした。明治年間に解体されましたが、昭和30年(1955)に再建されました。写真は、三之丸に入った内側からの大手隅櫓です。ここからしばらく歩いた先に、大石内蔵助の邸がありました。 |
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大手門を警護する役人の詰所だった建物です。平成15年(2003)に復元、整備され、休憩所となっています。大手門に近い場所にあります。 |
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平成10年(1998)に赤穂市指定文化財に指定されました。「源八長屋」の愛称で親しまれています。木造平屋建て、入母屋造、本瓦葺の長屋門形式の建物です。桁行きは、大石内蔵助宅跡長屋門をはるかに凌ぐ21間半(約42.3m)もあったとされています。そのうち現存するのは写真にある6間半の部分です。 |
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写真は現存している部分を通りと反対側から撮影したものです。写真右端は厠で、中央の縁側の奥は八帖の畳の間になっています。近藤家はもともと甲州流軍学者小幡勘兵衛景憲の門人だった近藤三郎左衛門正純が、刃傷事件をおこした浅野内匠頭長矩の祖父、長直の代から仕えはじめました。近藤源八は彼の養子で、千石番頭の重職にありました。また、彼の妻は大石内蔵助の叔母にあたります。 |
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193-8
赤穂城 大石邸長屋門入口 |
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194-1
赤穂城 大石神社 |
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194-2
赤穂城 大石神社参道 |
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194-3
赤穂城 大石内蔵助像 |
兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
忠臣蔵の主役の大石内蔵助良雄の屋敷前にある長屋門です。近藤源八宅跡長屋門とともに、赤穂城に残る江戸時代から現存する数少ない建物のひとつです。昭和54年(1979)には解体修理も行われました。 |
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大正元年(1912)の創立。歴代の赤穂藩主(浅野家三代・森家七代)や赤穂義士、萱野三平をまつる神社です。境内には義士宝物館があり、義士ゆかりの資料が展示されています。
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大石神社は赤穂城の三の丸の一部につくられています。参道の両脇には赤穂四十七士の像が並んでいます。 |
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大石神社にある大石内蔵助の像です。吉良上野介邸討ち入りの首謀者です。大石家は、赤穂入封から断絶まで代々浅野家に仕えた家老でした。 |
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194-4
赤穂城 大石邸庭園 |
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194-5
赤穂城 大石内蔵助お手植えの松 |
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194-6
赤穂城
大石邸長屋門裏手 |
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194-7
赤穂城 早駕籠 |
兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
大石邸の庭は池泉も造られた大きなものです。刃傷事件を知らせた早駕籠が到着したとされている長屋門の裏手にあたります。 |
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この松は、大石邸庭園にあるもので、大石内蔵助が自ら植えたといわれています。 |
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赤穂城に江戸時代から残っている建物のひとつです。浅野内匠頭長矩が起こした江戸城松の廊下での刃傷事件を知らせる早駕籠が叩いた門です。内蔵助がいた頃の本邸は江戸時代後期に焼失しており、実際にこの門長屋に住んでいたわけではないとの事です。 |
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主君浅野内匠頭の刃傷事件を知らせる第一の使者は、義士の早水藤左衛門と萱野三平の二名でもたらされました。この一報を知らせる早駕籠は、江戸からの百七十里(680km)をわずか四昼夜半で到着したといわれています。早駕籠は、塩屋門から城中に入り、ここ大石邸の門に到着しました。写真は、その早駕籠を復元したものです。 |
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194-8
赤穂城 大石内蔵助と主税 |
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195-1
赤穂城 大手隅櫓3 |
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195-2
赤穂城 二の丸 |
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195-3
赤穂城 本丸入口 |
兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
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兵庫県赤穂市 |
大石邸に再現された大石内蔵助とその長男松之丞(主税)です。大石親子は吉良邸討ち入りの際は、表門と裏門に分かれそれぞれの隊の大将として戦いました。 |
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大手門隅に復元された櫓です。現在の赤穂城のシンボルとなっています。大手門と共に昭和30年(1955)に復元されました。
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整備されつつある二の丸庭園。 |
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本丸を囲む外堀にかかった中道の先に二の門が見えます。高麗門形式で木造本瓦葺切妻造り、幅4m、高さ6mです。桝形になっており、奥に櫓門形式の一の門が見えます。 |
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