写真で見る日本の歴史
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206-2
小倉城
大手門跡
206-3
小倉城
鉄門跡
206-4
小倉城
石垣
206-5
小倉城
内堀
福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区
小倉城の正門です。見事なのはこの付近の石垣です。付近の川から運んできた石をそのまま積み上げています。基本的には野面積みなのでしょうが、中には巨大な石もあります。
藩主及び家老などごく限られた者は槻門を通り、鉄門はそれ以外の一般の武士などの登城口だったそうです。復元された部分とそうでない部分が石垣の色で分かります。小倉城の建物は、幕末に長州軍と戦った折、落城して落ち伸びる際、自ら火を放って焼け落ちたとの事ですが、その時の熱で赤く変色しているのが分かります。 細川忠興の自慢だったといわれる大手門付近の石垣です。野面積みで、付近の川から運ばれた石をそのまま積み上げています。 あまり良い状態とはいえませんが、このように石垣に囲まれてわずかながら堀が残されています。
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小倉城
旧第十二師団司令部正門
206-7
小倉城
旧第十二師団司令部
207-1
小倉城
天守閣1
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小倉城
天守閣2
福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区
明治31年に第十二師団司令部が小倉城の本丸に設置されました。建物は現存していませんが、正門だけはこのように当時のまま現存しています。なお、この第十二師団の軍医部長を務めていた経験がある文豪の森鴎外もこの門をくぐって登庁していたということです。 小倉城の本丸跡です。大正14年に久留米に移転するまで、旧日本軍の第十二師団司令部が設置されていました。
昭和34年(1959)、鉄筋コンクリート造りで再建された小倉城天守閣です。細川忠興が創建した当初のものと似ているとの事ですが、当時の天守閣は破風がなかったとの事です。その天守閣は、天保8年(1837)に焼失し、その後は再建されませんでした。
鉢巻をしたような天守最上層。上層が一回り大きいこのような造りは、唐造りといわれていました。この唐造りは小倉城が有名ですが、他にも岡山県にある津山城などがう有名だったそうです。しかし、そちらの方は現存していません。
207-3
小倉城
鯱鉾
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小倉城
天守閣から庭園
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小倉城
小倉城庭園
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小倉城
即非蓮
福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区 福岡県北九州市小倉北区
天守最上階から撮影。小倉城の天守ほかいくつかのお城にはこのように、最上階以外にも鯱鉾が置かれています。 天守閣最上階東側からの眺めです。堀端に見えるのが小倉城庭園です。堀の向こう側には北九州市の市街地が見えます。 別名を小笠原会館といいます。小倉城の東側の藩主の下屋敷跡つくられました。小倉城庭園は、「伝統的な生活文化の継承の拠点」、「ゆかりのある礼法の思いやりやもてなしの心を次世代に継承する施設」として、平成10年(1998)に誕生しました。書院、池泉回遊式の庭園、展示施設などがあります。 「1657年、来日した中国の僧、即非は、中国から選んだ蓮の種を黄檗州の本山、万福寺(京都府宇治市)近くの池に植えました。即非は1665年、小倉藩主・小笠原忠真に請われて広寿山福聚寺を小倉に開いています。即非が植えた蓮は、350年経った今も花を咲かせています。小倉・小倉東両ロータリークラブが、西暦2000年度の合同事業として、即非ゆかりの蓮の苗を小倉城庭園に寄贈しました。即非蓮は一重咲きで毎年6月半ばから8月まで、鮮紅色の色の花を咲かせます。」案内板による。
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小倉城
庭園から天守
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琵琶湖疏水蹴上
蹴上の合流点付近
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琵琶湖疏水蹴上
第三トンネル西口
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琵琶湖疏水蹴上
九条山ポンプ場施設
福岡県北九州市小倉北区 京都市東山区・左京区・山科区 京都市東山区・左京区・山科区 京都市東山区・左京区・山科区
小倉城庭園からの天守閣。角度もよく、絶好の撮影ポイントといえそうな景色でした。
琵琶湖疏水は山科疏水の道を越えた後は、九条山を抜け、ここ蹴上南禅寺付近に入ります。ここで第二疏水と合流し、いよいよ京都中心部へと入って行くわけです。
長さ850mの第三トンネルの西口です。トンネルの上に掲げられている扁額には、三条實美筆の「美哉山河」(うるわしきかなさんが)という文字が書かれてあります。大神宮橋から辛うじて確認できますが、近づくことができないため、写真はありません。 九条山ポンプ場からは、円山公園の噴水、東本願寺、渉成園などに琵琶湖疏水の水を送っています。
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琵琶湖疏水蹴上
九条山ポンプ場ポンプ室
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琵琶湖疏水蹴上
山ノ内浄水場導水管
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琵琶湖疏水蹴上
第二疏水出口
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琵琶湖疏水蹴上
大神宮橋と常夜灯
京都市東山区・左京区・山科区 京都市東山区・左京区・山科区 京都市東山区・左京区・山科区 京都市東山区・左京区・山科区
御所水道ポンプ室として明治45年(1912)に竣工しました。その名の通り、京都御所へ水を送るためにつくられた施設とのことです。設計は京都国立博物館の設計も手がけた片山東熊や山本直三郎が行いました。 この管はダクタイル鋳鉄管といって、水道管のほとんどに使用されているそうです。ここに置かれてあるのは直管といって直線区間に使用され、直径1.65m、長さ4m、重さは約5トンあります。第二疏水から取水された水は、この管を通って、約8キロ先の右京区、山ノ内浄水場まで導水されています。一日約26万4千立方メートルの原水を送ることができます。 第二疏水は明治45年(1912)に第一疏水では賄えなくなった飲料水を確保する目的で造られました。第一疏水とちがって、琵琶湖から取水されるとすぐに暗渠となり、ここにきて地上に姿を表します。何とトンネルの全長は7.4キロにもおよびます。 常夜灯の前には「一八五八年 嘉永五年九月 建立」と札が立てられていました。この大神宮橋を渡って山の方にしばらく登って行くと、大神宮があります。
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