写真で見る日本の歴史
 トップページすべての画像すべての画像033
931 件から641-660件を表示 U31 32 33 34 35U
前の20件 次の20件
128-5
国宝建築4
法隆寺南大門
129-1
吉野ヶ里遺跡
竪穴住居跡
129-2
吉野ヶ里遺跡
環濠跡
129-3
吉野ヶ里遺跡
集落跡
奈良県生駒郡斑鳩町 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市
法隆寺の正門です。永享10年(1348)の建立です。両端には金剛力士像が安置されています。くぐった正面に中門、その先が西院伽藍です。入母屋造で本瓦葺きです。
縄文時代から弥生時代にかけての一般的な住居です。地面を掘り下げてつくられており、地域や時代によってその形態には特徴が見られます。
発掘された環濠跡です。吉野ヶ里遺跡は二重の環濠がめぐらされていました。 発掘が進む吉野ヶ里遺跡は約40ヘクタールにも及ぶ国内最大級の環濠集落遺跡です。発掘現場を見学することもできます。
129-4
吉野ヶ里遺跡
逆茂木
129-5
吉野ヶ里遺跡
有柄銅剣
129-6
吉野ヶ里遺跡
甕棺
129-7
吉野ヶ里遺跡
甕棺墓
佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起きるようになりました。そこで、集落の入口などに、このように木の枝や幹などで乱杭を打ち、外敵からの侵入を阻んでいました。
甕棺から出土した銅剣です。柄の部分まで青銅でつくられています。銅剣の刃の周囲には繊維が付着しており、分析の結果、絹が巻かれていたことが分かりました。 弥生時代に北部九州だけで使われていた棺おけです。吉野ヶ里遺跡では、2600基ほど見つかっています。大きい方が大人用、小さい方が子供用です。 墳丘墓の北側には、道の両側に全部で2000基を超す甕棺が長さ600mにわたって並べられています。
129-8
吉野ヶ里遺跡
首なし人骨復元
130-1
吉野ヶ里遺跡
南内郭
130-2
吉野ヶ里遺跡
南内郭竪穴住居内
130-3
吉野ヶ里遺跡
南内郭物見櫓
佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市
当時の戦いによる犠牲者といわれています。九州地方を中心に戦死と考えられる損傷した人骨が弥生時代の墓から数多く発見されています。
南内郭は、吉野ヶ里遺跡の二つの中心区域のうち、南側にあるものをさします。壕と柵で厳重に囲まれ、中には物見櫓も設けられています。これらのことから、吉野ヶ里遺跡の指導者たちの住まいだったと考えられています。
大人(支配者たち)の住居内には、部屋の中央に食事を囲む炉がありました。奥には神棚や物を置く棚があり、部屋の両脇は床が一段高い寝間になっています。食器は上質の木器が使われていました。
敵の見張りのために建てられた建物です。壕の内側に建てられた吉野ヶ里にだけ見られる特色的なものです。
130-4
吉野ヶ里遺跡
高床倉庫群
130-5
吉野ヶ里遺跡
高床倉庫内
130-6
吉野ヶ里遺跡
墓道と北墳丘墓
130-7
吉野ヶ里遺跡
北内郭
佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市
100棟にせまる高床倉庫が吉野ヶ里にはあったとされています。高床倉庫は、弥生時代の集落にあった食料の貯蔵庫です。他にも色々なものがおさめられていたり、住居としても活用されていました。風通しを良くし、湿気を防ぐために高床にするとともに、それぞれの柱の付け根にはねずみ返しとよばれる板が取り付けられています。
復元された高床倉庫内部の様子です。 北の墳丘墓につながる道で、墓へお参りする人のための専用の道が墓道です。墳丘墓には有力者たちが葬られていました。弥生時代の中ごろのものと考えられており、中からは14基の甕棺が発見されました。ガラス製の管玉や青銅の剣などが副葬品として発見されています。周囲には北墳丘墓を守る祖先の霊が宿ると考えられていた柱が立っており、弥生時代後期になると、お墓ではなく、それらの霊を守る祭壇としての役割を担うようになりました。 吉野ヶ里遺跡のまつりごとを司る最重要区域です。田植えや稲刈りの日取りや、戦いや狩りの祈りなどが行われていたところと考えられています。当時は指導者たちだけが出入りできる特別な場所だったようです。
130-8
吉野ヶ里遺跡
北内郭入口
131-1
吉野ヶ里遺跡
主祭殿
131-2
吉野ヶ里遺跡
主祭殿内部
131-3
吉野ヶ里遺跡
最高司祭者の神がかり
佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市 佐賀県神埼市
高い柵と環濠に守られた北内郭の入口です。主祭殿とよばれるひときわ大きな建物が見えます。それらへ通じる立派な門がここには復元されています。
北内郭にあった吉野ヶ里のまつりごとを司る最重要施設です。ここでは指導者たちが重要な事柄を話し合ったり、最高司祭者が祖先の霊に祈りをささげる儀式などが行われていました。高さ16.5mで復元されています。
当時の様子を表す人形が置かれています。
最高司祭者の巫女(「ふじょ」と読みます)が祖霊からお告げを授かるために蔓を頭や身体に巻き、手に小笹を持って、琴の音に合わせて神がかりをしようとしている様子です。巫女の発するお告げを聞き分け、伝える人が控えています。鏡や玉、剣などは祖霊と交信するための祭具です。
前の20件 次の20件

トップページへ このページの先頭へ
copyright (C) 社会科ちゃん