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原爆ドーム Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)

登録名称

広島平和記念碑( 原爆ドーム )

Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)

Mémorial de la paix d'Hiroshima (Dôme de Genbaku)

登録 1996年(平成8年)12月5日
登録基準 (6) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
構成遺産(1) 01 原爆ドーム
コメント 旧広島産業奨励館。昭和20年(1945)8月6日、広島に投下された原爆によって現在のような廃墟になりました。昭和41年(1966)に永久保存が決定されていましたが、政府が世界文化遺産への登録を推薦したことによって、平成8年(1996)にポーランドのアウシュビッツ強制収容所に続いて「戦争の負の遺産」として登録されました。
リンク

Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome) - UNESCO World Heritage Centre

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原爆ドーム Hiroshima Peace Memorial (Genbaku Dome)

原爆ドーム

平和記念公園 Heiwa-Koen (Hiroshima Peace Memorial Park)

1949年8月6日に公布された広島平和記念都市建設法を受けて、平和記念公園や原爆資料館などが建設されました。その中心にあたるものが、写真にある原爆慰霊碑です。家型はにわの形につくられており、犠牲者を雨露から守りたいという気持ちを表しているとのことです。慰霊碑に安置してある石棺には被爆死没者名簿が収められており、「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と碑文が刻まれています。


 

原爆ドーム

原爆ドーム1 ( Genbaku Dome )

手前の川は元安川。

 

原爆ドーム

原爆ドーム2 ( Genbaku Dome )

もともとの建物は、旧広島県産業奨励館と呼ばれていました。1915年に完成しました。モダンな美しい建物でしたが、1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾の投下で大破しました。戦後は、原爆ドームと呼ばれるようになり、永久保存されることになりました。1996年には、世界文化遺産に登録されました。

 

原爆ドーム

外壁 ( Genbaku Dome )

広島市民はもとより世界中の人々の募金などにより、原爆ドームの保存活動が進められ、老朽化激しい建物の維持が可能となっています。

 

原爆ドーム

警告 ( Genbaku Dome )

立ち入り禁止です。「館内に入ると警報機が作動します。絶対に立ち入らないでください。(Alarm System in Place Do Not Enter)」」とあります。

 

原爆ドーム

原爆ドーム3 ( Genbaku Dome )

至近距離から見上げた角度から撮影。立派な建物だったことがわかります。

 

原爆ドーム

原爆ドーム4 ( Genbaku Dome )

原爆の熱線で、金属の板は溶け落ち、骨組みだけになってしまったドーム。ほぼ真上から(実際はドーム南東150m付近が中心地。上空約580m)の熱線と爆風だったので、このような形で残りました。

 

 

原爆ドーム

相生橋 Aioi-Bashi ( Aioi bridge)

本川(太田川)が元安橋と分岐する位置にあるT字型の橋です。平和記念公園の北の端に位置します。明治11年(1878)に架けられた当初は、中島地区の北端を経由した「くの字型」でした。その後、北側にT字橋が増設され「工の字型」になりました。昭和14年(1939)に最初に架けられた部分が解体されて現在の形になりました。この橋は、原爆投下の目標となったといわれています。地元では、音が似ているため「あいうえお橋」と呼んでいる人もいます。

 

原爆ドーム

レストハウス ( Rest house )

もとは、昭和4年(1929)に大正屋呉服店として建設された建物です。昭和19年(1944)に広島県燃料配給統制組合の施設となり被爆しました。原爆投下時には37名の人がいたとのことですが、地下室にいた一人が奇跡的に生き残った以外は、全員が死亡しました。昭和57年(1982)から無料休憩所(レストハウス)として利用されるようになりました。

 

原爆ドーム

広島平和記念資料館 (Hiroshima Peace Memorial Museum)

写真は西館です。隣接して東側に東館、西側には広島国際会議場があります。観覧料は大人で50円(子ども30円)です。昭和27年(1952)に制定された「平和記念都市建設法」によって建設されることになり、昭和30年(1955)に開館しました。

 

 

原爆ドーム

原爆ドーム5 ( Genbaku Dome )

中央の円屋根が破壊されずに骨組みが残っていることから、爆風が真上から来たものと考えられ、落下中心地と推定(実際は南東に150mほどの上空580m地点とされている)されました。戦後は原爆ドームとして、原爆の恐ろしさと平和を訴えるシンボルとして永久保存が決定されました。さらに、平成8年(1996)にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

 

原爆の子の像

原爆の子の像1 Genbaku no Ko no Zo ( Children's Peace Monument )

Atomic Bomb Children Statue 昭和33年(1958)5月5日のこどもの日の完成です。2歳で被爆して10年後に原爆による白血病で亡くなった佐々木貞子さんの死を悼み、彼女をモデルに同級生たちが建設運動を起こして建立しました。

 

原爆の子の像

原爆の子の像2 Genbaku no Ko no Zo ( Children's Peace Monument )

生前、貞子さんが入院先の病室で千羽鶴を折っていたことから、像の周りには千羽鶴が贈られています。修学旅行生などが贈った千羽鶴はかつては像の前に直置きされていましたが、度重なる放火事件などもあって、写真のように置き場が設置されました。像の真下にある石碑には「これはぼくらの叫びです。これは私たちの祈りです。世界に平和をきずくための。」という心を揺さぶられる文章が刻まれています。

 


【原爆ドーム】アクセス ・・・ JR広島駅より市電 原爆ドーム前

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