生没年 |
1677〜1703.3.20 |
関係人物 |
父 |
大石八郎兵衛信澄(赤穂藩士)
小田三郎左衛門貞守の妹 |
母 |
名 前 |
大石八三郎(幼名)→大石源蔵→大石瀬左衛門信清
小田権六(江戸潜伏中の偽名) |
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生涯 |
大石内蔵助の曽祖父の弟の孫にあたります。
元禄14年(1703)3月14日の江戸城松の大廊下での刃傷事件の日、主君浅野内匠頭の切腹を原惣右衛門とともに赤穂へ知らせました。
討ち入りの義盟には、兄の大石信豊とともに加わりましたが、兄はその後脱盟しました。
吉良邸討ち入りの際は、裏門隊に属して活躍しました。
本懐を遂げた後は、熊本藩細川家にお預けとなっていましたが、元禄16年(1703)2月4日に他の浪士たちとともに切腹しました。27歳。 |
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