生没年 |
1670〜1703.3.20 |
生誕地 |
兵庫県赤穂市 |
関係人物 |
父 |
岡野治太夫正治(赤穂藩士) |
母 |
赤穂藩士長沢六郎左衛門の娘 |
名 前 |
不破正種(ふわまさたね) 松井仁太夫(江戸潜伏中の偽名) |
|
生涯 |
元禄3年(1690)ころに不破家の婿養子となり、養父の死後、不破家を相続しました。しかし、間もない元禄10年(1697)に家僕を斬ったことが、主君の勘気を買い、浪人となってしまいました。その後は江戸にいましたが、松の廊下での刃傷事件を知り、大石内蔵助とともに仇を討つための義盟に加わることを希望しました。しかし、既に浪人だったため義盟への参加は何度か断られています。その後、吉田忠左衛門のとりなしによって、参加が許されました。
討ち入り時は、裏門隊に属し屋外に配置されましたが、戦闘が始まると持ち場を離れて屋敷へ突入していきました。しかし、もっともめざましい働きをしく、多くの敵を倒したそうです。
討ち入り後、大石主税らとともに伊予松山藩主、松平隠岐守のもとに預けられ、幕府の命によって他の浪士らとともに切腹しました。享年34歳。 |
|
|
サイト内リンク |
|
外部リンク |
|
|