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0525堀部弥兵衛
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【 堀部弥兵衛 】
Horibe-Yahe
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@大石神社(兵庫県赤穂市)
堀部弥兵衛 データ
生没年 1627〜1703.3.20
生誕地 播州赤穂?(兵庫県赤穂市)
名前 堀部金丸(「かなまる」または「あきざね」と読む)
人物伝
父:堀部勝綱(赤穂藩士)

 祖父からの赤穂藩士。父の死後、浅野家三代に仕えました。江戸留守居役。妻わかとの間に弥平太、娘ほりが生まれましたが、弥平太は男色関係のもつれから殺されてしまいました。
 後に高田の馬場の決闘で奮闘した中山安兵衛を養子に迎え、娘ほりと結婚させました。安兵衛も吉良邸討ち入りに参加した義士のひとりです。
 討ち入りの時は表門隊として参加し、槍を持って表門の警戒にあたりました。赤穂浪士の中では最年長で、76歳でした。
 その後は、細川越中守の屋敷にお預けとなり、1703年3月20日に他の浪士とともに幕府の命で切腹させられました。
 既に老境に入っていた弥兵衛は、「浅野内匠家来口上書」の草案を書き、また存命のうちに何とか吉良を討つことを望んでいました。
 また、討ち入りの直前、大石内蔵助らを招いて、昆布、栗、菜鳥の吸い物など、出陣儀式の料理をふるまって酒宴を催し、義士たちを勇気づけました。
辞世の句 「品もなく 活き過ぎたりと思ひしに 今かちえたり 老いの楽しみ」
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