@大石神社(兵庫県赤穂市) |
片岡源五右衛門 データ |
生没年 |
1667〜1703.3.20 |
生誕地 |
尾張国? |
名前 |
片岡高房 |
人物伝 |
父:熊井重次(尾張藩士)
養父は片岡六左衛門(赤穂藩士)
側用人、児小姓頭。350石扶持です。叔父の赤穂藩士、片岡六左衛門の養子となり、浅野内匠頭に仕えました。
主君、浅野内匠頭の刃傷事件の時は江戸にいました。忠臣蔵では、浅野内匠頭が切腹向かう際、多門伝八郎のはからいによって無言の別れをしています。
言葉を交わすことを許されない中、浅野内匠頭が源右衛門を見つけ、「これは独り言である・・」と前置きした上で、遺言を伝えるのです。
最初は大石内蔵助らの義盟には加わらずに、江戸で独自の行動をとっていましたが、後に内蔵助らと行動を共にするようになりました。
討ち入りの際は、表門隊に属して戦っています。討ち入り後は、細川越中守に預けられ、元禄16年(1703)に幕府の命により、他の浪士たちとともに切腹しました。 |
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