@大石神社(兵庫県赤穂市) |
原惣右衛門 データ |
生没年 |
1647〜1703.3.20 |
生誕地 |
? |
名前 |
原元辰(もととき) 和田元真(江戸潜伏中の偽名) |
人物伝 |
足軽頭。300石扶持で、討ち入りメンバーの中では三番目の禄高です。吉良邸討ち入りメンバーの一人、岡嶋八十右衛門は実弟です。刃傷事件の時は警護留守役で江戸にいました。この時、赤穂への第一陣の急使は刃傷事件を伝え、惣右衛門ら第二陣は内匠頭の切腹を伝えました。
最初は大石内蔵助らの義盟には加わらずに、江戸の急進派とよばれるグループに所属していましたが、後に内蔵助らと行動を共にするようになりました。 |
辞世の句 「かねてより 君と母に 知らせんと 人より急ぐ 死出の山道」 |
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