父:徳川家康
母:お万の方(小督局)長勝院
徳川家康の次男で母は家康の正室の築山御前の侍女であった側室お万の方です。家康にはあまりかわいがられていなかったようですが、それは家康が実子かどうか疑っていたからだといわれています。本来、嫡男の秀康が信長の命によって切腹させられた後は家督を継ぐのが普通ですが、家康は三男の秀忠を世継ぎに指名しました。11歳の時、小牧・長久手の戦いの講和の際の人質として秀吉のもとへ行った後は、下野国の結城晴朝の養子となり、結城秀康を名乗りました。関ヶ原の戦いの後は松平氏に変え、越前北ノ庄を領し、この地を福井と改め、67万石の大名となりましたが、34歳で没しました。