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0510桂小五郎
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【 桂小五郎 】
KatsuraーKogoro
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@京都長州藩邸跡(京都府京都市中京区)
小五郎データ
生没年 1833(天保4年).6.26〜1877(明治10年)
生誕地 山口県萩市
名前 和田小五郎→桂小五郎→木戸貫二→木戸準一郎→木戸孝允
人物伝
父:和田昌景(萩の医師)
母:清子

 天保4年(1833)長州藩萩城下の藩医和田昌景の子として生まれました。姉の婿養子に医者の跡継ぎが来たため、小五郎は桂九郎兵衛という百五十石取りの中士の家へ養子として入りました。その後、松下村塾で吉田松陰のもとで学び頭角を現してきた小五郎は、江戸へ出て斎藤弥九郎の門で剣を習い、神道無念流の免許皆伝となりました。このことからも分かるように相当の剣の達人であったと考えられます。また、蘭学をはじめ、西洋の砲術や兵学など多くのことを勉強しました。
 幕末には池田屋事件や禁門の変による長州の危機を乗りきり、土佐の坂本竜馬の仲介で薩摩の西郷隆盛と薩長同盟を結び、倒幕へ導きました。ただ、西郷とは生涯仲が悪かったそうです。
 明治維新には五箇条の御誓文の修正や廃藩置県に尽力し、参議となり、岩倉使節団にも参加しました。
 明治10年(1877)に最後にして最大の士族の反乱(西南戦争)が西郷隆盛によっておこされた最中、京都において「西郷め、いいかげんにしないか」という言葉を残して他界しました。
小五郎ゆかりの地

・【松下村塾】山口県萩市
 吉田松陰の私塾。桂小五郎もこの塾で学びました。松下村塾門下生は他に、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文など。
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