父:益田甚兵衛好次(元、小西行長家臣)
母:
関ヶ原の合戦に敗れた小西行長の元家臣、浪人益田甚兵衛好次の四男として生まれました。幼少の頃から中国の難しい書物を暗唱したりと神童とうわさされ、美少年であったことから大変人気がありました。そして1637年、島原の乱がおこった際に総大将として、島原・天草の農民や小西行長の元家臣の浪人衆とともに幕府軍と戦いました。しかし、翌年2月28日に原城に篭城する一揆軍に対し幕府軍が総攻撃をかけ、2万7千人(3万7千人)ともいわれる老若男女が天草四郎とともに討死したのでした。
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