慶長2年(1606)に塔頭の西源院の塔頭として織田信長の弟織田信包によって建立されました。寛政9年(1797)に龍安寺の方丈が焼失したため、移築されました。 |
石庭を囲む塀です。土塀の色と石庭が調和しています。2006年3月に4ヶ月をかけて土塀のこけら葺き屋根をふきかえたばかりです。この油土塀は、菜種油を混ぜた土を使用しており、石庭の白砂からの照り返しを防ぐ役割もあるとの事です。
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水戸光圀の寄進といわれるつくばい(複製)です。四つの文字は中央の口の部分を部首として漢字を形成します(例えば「五」と「口」で「吾」)。つなげて読むと「吾唯足知(ワレタダタルヲシル)」となります。「知足の者は貧しといえども富めり、不知足は富めりといえども貧し」という意味です。
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