【勅使門】 南禅寺の正門ですが、勅使など特別な人しか出入りできない門です。当然、現在は写真のように囲いがあって、出入りできません。重要文化財。
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【三門】 勅使門と法堂とをつなぐ間にあります。高さは約22mもあります。現在の門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に大坂夏の陣の戦死者を弔うために再建されました。歌舞伎「楼門五三桐」で石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と見得を切った所として有名です。
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【法堂】 禅宗寺院に見られる七堂伽藍のひとつ、法堂(はっとう)は寺院の中心的な建物です。豊臣秀頼が寄進してつくられましたが、明治28年に焼失しました。現在の法堂は明治42年に再建されたものです。
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【方丈および庭園】 大方丈(写真右の建物)はこけら葺きの建物です。豊臣秀吉が建造寄進した御所の清涼殿を慶長16年(1611)に後陽成天皇が移築したものとされています。国宝。また、方丈の前庭は「虎の児渡し」と呼ばれています。禅院式枯山水庭園で、築庭の名人の小堀遠州が慶長年間に手がけた庭です。 |
【南禅院】 水路閣をくぐると階段があって、水道橋の上に通じています。この周辺が南禅寺の前身となった南禅寺発祥の地、離宮禅林寺殿の「上の宮」遺跡です。
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【金地院】 南禅寺の塔頭。ここの住職には、天海僧正(明智光秀と同一人物との伝説もある)とともに徳川家康に従い、江戸幕府の基礎を確立した、金地院崇伝がいます。本堂は伏見城の遺構と伝えられ、襖絵は狩野探幽、尚信の作。特別名勝の庭園は、寛永9年(1632)完成で、有名な小堀遠州によるものです。
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【水路閣1】 南禅寺の中には水路閣とよばれる水道橋があります。お寺とは関係ありませんが疎水事業の一環として建築され、京都でも人気が高いところです。古い歴史と格式を持つ南禅寺の伽藍と近代の建築である水路閣は見事に融合して、京都でも有数の美しい景観が楽しめる所となっています。
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【水路閣2】 明治時代に開発された琵琶湖から京都市内へ至る人工の水路、琵琶湖疏水が流れる水道橋です。明治維新後の廃仏毀釈の際に、境内に建てられた建築物です。ローマの水道橋を思わせるような赤レンガ造りの水路です。粟田口とよばれた交通の要所にあり、琵琶湖岸や山科への玄関口であったため、琵琶湖疏水はこの南禅寺を通って京都市内に流れています。
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【水路閣3】 水路閣の上側。手前から奥に流れています。水源が琵琶湖だけあって水量はいつ来ても豊富です。危険なため柵に阻まれています。
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