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 トップページシリーズ教科書に出てくるお寺鞍馬寺 0218鞍馬寺
教科書に出てくるお寺

松尾山
鞍馬寺
データ
所 在 地 京都府京都市左京区鞍馬本町1074
山  号 松尾山
正 式 名
別  名 松尾山鞍馬寺
宗  派 鞍馬弘教総本山
創  建 宝亀元年(770)
開  基
開  山 鑑禎上人
本  尊 尊天(毘沙門天、千手観世音、護法魔王尊)
おもな文化財
そ の 他 新西国33ヶ所霊場、第19番札所
コメント 源義経が幼少のころ預けられたお寺で義経にまつわる場所や建物も多い。鞍馬弘教総本山、宝亀元年(770)に鑑真の高弟、鑑禎が創始。
拝観案内
拝観料
拝観時間
交  通 京阪出町柳駅からのりかえ
叡山電鉄鞍馬行き終点、鞍馬駅下車
麓の山門から中腹まではケーブルカーも出ている
東大寺南禅寺
歴史年表
西 暦 元 号 出来事
770 宝亀元年 唐招提寺を建立したことで有名な鑑真和上の高弟、鑑禎上人が、毘沙門天をまつる草庵を結んだことがはじまり。(寺伝『鞍馬蓋寺縁起』)
795 延暦15年 造東寺長官の藤原伊勢人が堂塔を整え、千手観世音をまつる。
12世紀中ごろ 源義朝の子、牛若丸が7歳から10年ほど由岐神社の上手にあった東光坊で修行したといわれる。牛若丸は後の源義経で、平家を滅ぼす。
1814 文化11年 開創以来五回目の火災。最も被害が甚大だったらしく、多くの伽藍が焼失。
1947 昭和22年 鞍馬弘教が立教開宗され、初代管長に信楽香雲が就任。
境内紹介
■境内
山門 普明殿 鬼一法眼社
明治44年に再建、昭和35年に移築・修理されました。寿永年間(1182〜1184)の建立とのことですが、明治24年に焼失しました。向かって左側の扉は創立時のものとの事です。仁王門は俗界との境界とされています。
ケーブルカー乗り場がこの中にあります。この普明殿内の山門駅から中腹の多宝塔駅まで所要時間2分で行きます。営業距離は207mで昭和32年1月1日から営業が開始されました。 鬼一法眼とは平安時代末期の伝説上の人物。安倍晴明や吉備真備と同じ陰陽師だったとされています。この鬼一法眼は源義経に六韜三略(りくとうさんりゃく)の兵法を授けた人物といわれています。
くらまのつづらおり 由岐神社 中門
山門から続く坂道。一キロほどあります。中腹までケーブルカーもありますが、途中にも見所が多く歩いてのぼることにします。清少納言が『枕草子』で「遠くて近きもの」といった坂道です。「遠くて近きもの。極楽、くらまのつづらおり、十二月のつごもりと、正月の一日と宮のべのまつり。」 毎年10月22日に鞍馬の火祭りが行われることで有名です。もともとは御所にあったとの事ですが、天慶3年(940)にこの地にうつされました。御所からの移動の際、道に篝火をたいて行列を照らしたことが、火祭りの起源とされています。 中門はもともとは仁王門の脇に立てられていたそうですが、参道の途中に移築されました。勅使が通る特別な門だったようです。
寝殿 翔雲薹 本殿金堂
大正13年(1923)に平安時代の寝殿造を忠実に型どって建立され、翌年の貞明皇后行啓時の休息所ともなりました。昭和41年(1966)に増改築された後は、如法写経会の道場となっています。 中央の板石は本殿後方より出土。平安時代より鞍馬寺に伝えられ、現在も毎年8月1日から三日間行われている如法写経会の経巻を埋葬した経塚の蓋石です。二百あまりの遺物が発掘されました。 前庭の石畳は金剛床といいます。千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊がまつられています。本尊は秘仏で60年に一度しか見られません。また、本殿の地下は宝殿になっています。
■鞍馬天狗
鞍馬天狗

後に平家を打倒する源義経が、幼いころに預けられていたお寺がこの鞍馬寺です。義経はそのころ遮那王といわれていました。この遮那王は、剣術を鞍馬山に住む天狗に学んだといわれています。写真は叡山電鉄「鞍馬駅」前にあったものを撮影しました。鞍馬天狗は牛若丸(後の源義経)に兵法・剣術を指導したといわれている伝説の生き物です。鞍馬天狗は「僧正坊」とよばれ日本各地の天狗たちの総元締めとして語り継がれています。

0217東大寺 0219南禅寺
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