写真で見る日本の歴史
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277-2
延暦寺東塔
大書院
277-3
延暦寺東塔
大塔宮護良親王御遺跡
277-4
延暦寺東塔
傳教碑
277-5
延暦寺東塔
慈鎮和尚の歌碑(おほけなく)
滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市
比叡山開創1150年を記念して建立されました。京都にある伝統的な書院造を参考に、当代最高の建築技術と用材を集めて造られたとの事です。外観からはいまいち分かりませんが、「純和風の中に欧風の趣向が巧みに調和」しているそうです。 碑にある大塔宮護良(もりなが・もりよし)親王とは、後醍醐天皇の第三皇子です。18歳で比叡山に入り、20歳のときに第116世天台座主に就任しました。延暦寺の僧兵をよくまとめ、元弘の変で活躍しました。しかし、のちに足利尊氏との確執によって身に覚えのない罪を着せられて鎌倉に幽閉、最期は牢中で惨殺されるという非業の詩を遂げました。 開祖最澄の大師号である「傳教」の二字を記したもの。揮毫したのは、天台宗の大僧正、豊道慶中(号、春海)です。 前大僧正慈円という名で百人一首のひとつ(95番)にも選ばれている「おほけなくうき世の民におほふかな わがたつ杣に墨染の袖」の歌碑です。意味は、「身の程知らずだが、浮世の民を包み込むつもりだ。私がいる比叡山の僧侶が着る墨染の服の袖で。」という感じだと思います。
277-6
延暦寺東塔
慈鎮和尚の歌碑(唐崎の)
277-7
延暦寺東塔
南無根本傳教大師
277-8
延暦寺東塔
傳教大師童形像
278-1
延暦寺東塔
宮沢賢治歌碑
滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市
慈円(慈鎮和尚)による歌、「唐崎の松は扇の要にてこぎゆく舟はすみ絵なりけり」です。比叡山から眺める琵琶湖の景色をこのように表現しました。 最澄の像です。伝教大師(傳教大師)という名で知られていますが、これが大師号の最初でもあります。根本大師、山家大師、叡山大師などとも呼ばれています。 昭和12年(1937)に比叡山開創1150年を記念して建立されたものです。 宮沢賢治は生家の宗教、浄土真宗を捨てて法華経を信仰するようになりました。その後、単身で上京しましたが、生活ぶりを心配した父が上京し下宿先に訪れました。そして、二人での関西旅行をすることになり、比叡山を訪れました。この時、賢治は根本中堂の前で歌碑になっている歌「ねがはくは妙法如来正偏知大師のみ旨成らしめたまへ」を詠みました。

278-2
延暦寺東塔
出世大黒天堂
278-3
延暦寺東塔
平和の祈り記念碑
278-4
延暦寺東塔
要の地蔵尊
278-5
延暦寺東塔
延暦寺会館
滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市
最澄が根本中堂を創建する際に、守護神として大黒天をまつったのが始まりです。天下人と出世していった豊臣秀吉が大黒天を信仰していたことから、出世大黒天といわれています。 2007年8月3日・4日に比叡山で行われた「世界宗教者平和の祈りの集い」の記念碑です。「世界宗教者平和の祈りの集い」は、日本宗教者代表会議の主催で、世界18カ国から25人の宗教代表者をはじめ、2000人以上もの人が集まって開かれました。 比叡山の表参道本坂(琵琶湖側からの登山道)の中腹の「要の宿(かなめのやどり)」にあった地蔵尊です。明治初めまで女人禁制だったので、女性はこの「要の宿」までしか登ることを許されておらず、この地蔵尊にさまざまな悩みを語って下山していたそうです。比叡山ドライブウェイの開通によってこの地に遷座されました。 延暦寺会館は延暦寺の宿坊です。とはいえ、中は非常に近代的でホテル並みです。精進料理などの料理を味わえるほか、写経や座禅などを体験できる宿泊プランなどもあります。
278-6
延暦寺東塔
法然堂
278-7
延暦寺東塔
蓮如堂
278-8
延暦寺東塔
天海大僧正住坊跡
279-1
日光東照宮
東照宮
滋賀県大津市 滋賀県大津市 滋賀県大津市 栃木県日光市
延暦寺会館から脇の細道を下った先にひっそりとあります。法然上人得度御霊場とあります。 本願寺第8世蓮如が17歳から22歳までの5年間、修業した地です。堂内には、蓮如がこの地にいた頃を象った尊像と、35歳で本願寺第8性を継いだときの尊像が安置されています。蓮如がこの地で修行していたころ、信徒の弥七道西がお茶と麦粉(はったい粉)を持ってきて、蓮如に差し出したことがありました。これをきっかけに、のちに、道西は蓮如の布教活動を大いに助けることとなりました。 天海大僧正(慈眼大師、南光坊)は徳川家の三代にわたって宗教・政治のご意見番として活躍した傑僧。織田信長による比叡山焼き討ちによって荒れ果てた比叡山の復興を徳川家光に説いて実現させた人物です。根本中堂や大講堂などはこの時に再建されたものです。東叡山寛永寺の開山で、そこで108歳まで行きました。 「日光の社寺」という名で世界文化遺産に登録されている日光山内の二社一寺のうちのひとつです。祭神は東照大権現(徳川家康)です。陽明門をはじめ、多くの国宝建築があるだけでなく、三猿などの細密な彫刻が建造物群に施されています。
279-2
日光東照宮
一ノ鳥居
279-3
日光東照宮
御仮屋
279-4
日光東照宮
五重塔1
279-5
日光東照宮
五重塔2
栃木県日光市 栃木県日光市 栃木県日光市 栃木県日光市
日光東照宮の入口にあります。元和4年(1618)、筑前藩主黒田長政が奉納したものです。「東照大権現」の勅額は、後水尾天皇の辰筆によるものです。高さは9mあり、石鳥居としては当時日本最大だったそうです。巨大な石鳥居のため、柱は2本の石でつなぎ、笠石も3つの石を組み合わせて作ってあります。重要文化財。 本社を修理する際に、祭神を移して祀るための御殿です。寛永16年(1639)建立。重要文化財。 慶安3年(1650)、若狭小浜藩主酒井忠勝の奉納によるものです。高さ約35m。その後、落雷によって焼失しましたが、文政元年(1818)に再建されました。重要文化財。 初層には十二支の彫刻が見られます。正面に「寅」「卯」「辰」が確認できました。
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