
@憲政記念館(東京都千代田区) |
行雄データ |
生没年 |
1858(安政5年).11.20~1954(昭和29年) |
生誕地 |
神奈川県津久井郡津久井町 |
名前 |
尾崎行雄(号は 学堂→愕堂→咢堂 ”がくどう”と読む) |
人物伝 |
父:尾崎行正
母:??
「憲政の神様」「議会政治の父」
神奈川県北西の津久井郡で生まれ、11歳の時、三重の宇治山田(伊勢市)に移りました。その後、共立学校(現在の開成高校)を経て慶応義塾に入学しましたが中退し、東京大学工学部に再入学しました。1882年に大隈重信の立憲改進党の創立に参加し、1890年の第1回衆議院議員選挙に三重県から立候補して、初当選。以来、25回の選挙に当選して、63年間代議士として政治に携わりました。その間、桂内閣のとき、犬養毅らと憲政擁護運動をおこし、内閣打倒の演説をしたのは有名です。文部大臣、司法大臣、東京市長などをつとめ、憲政の神様といわれました。東京市長在任中の1912年に、サクラの苗木3000本をワシントンD.C.に贈呈したことはよく知られています。軍部が台頭してきた軍国主義時代には、日独伊三国同盟締結に反対し、大政翼賛会を攻撃する質問書を提出したりと、反戦運動をおこしたため、不敬罪容疑で起訴されたりしました。この件は、大審院で無罪判決をうけています。第2次世界大戦後は平和運動家として活躍しました。
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永年在職議員表彰第1号・衆議院名誉議員第1号・東京都名誉市民第1号 |
行雄ゆかりの地 |
・【憲政記念館】東京都千代田区
尾崎行雄らの業績を顕彰しています。 |