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  • 原爆遺跡 広島 A-bombed Buildings and Cenotaph in Hiroshima

    投下日時

    1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分

    コメント

    爆心地は産業奨励館(現在の原爆ドーム)東側の島病院。爆心地500m圏内では閃光と衝撃波がほとんど同時に襲った。爆心地付近の木造建築は悉く全壊しました。しかし、産業奨励館はほぼ垂直方向の衝撃波を受けたため、天蓋の鉄骨など一部が残り、原爆ドームとして世界文化遺産に登録されました。

    リスト(3) 原爆ドーム広島城 - 広島平和公園
  • 原爆ドーム Genbaku Dome

    負の世界遺産は広島から恒久平和を念願する

    原爆ドーム Genbaku Dome

    原爆ドーム Genbaku Dome

    原爆ドームは、もともとは「広島県物産陳列館」という名称でした。1910年(明治43年)に広島県会で建設が決定され、1915年(大正4年)4月5日に竣工、8月5日に開館しました。1919年(大正8年)にはここで日本初のバウムクーヘンの製造販売が行われています。第一次世界大戦時のドイツ人捕虜カール・ユーハイムによるものでした。その後「広島県立商品陳列所」、「広島県産業奨励館」と改称され、原爆投下の日を迎えました。被爆後は取り壊しも検討されたものの、1966年(昭和41年)には永久保存が決定。その後、1995年(平成7年)に国指定史跡に、1996年(平成8年)に世界文化遺産に登録されました。

    広島市民はもとより世界中の人々の募金などにより、原爆ドームの保存活動が進められ、老朽化激しい建物の維持が可能となっています。

    中央の円屋根が破壊されずに骨組みが残っていることから、爆風が真上から来たものと考えられ、落下中心地と推定(実際は南東に150mほどの上空580m地点とされている)されました。戦後は原爆ドームとして、原爆の恐ろしさと平和を訴えるシンボルとして永久保存が決定されました。さらに、平成8年(1996)にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。


    【原爆ドーム】アクセス
    電車:JR広島駅より市電 原爆ドーム前

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    広島城 Hiroshima Castle

    原爆倒壊ののち再建された毛利輝元の居城

    広島城 Hiroshima Castle

    広島城 Hiroshima Castle

    天守閣は、昭和9年に国宝に指定されるなど創建時から存続していた建物が多くありましたが、原爆によって倒壊しました。戦後、外観は当時のままで復元されました。日露戦争時には、城内には大本営が置かれ、被爆当時には陸軍第五師団司令部も置かれていました。

    敷地内にあった広島陸軍幼年学校は、昭和20年(1945)8月6日の原爆によって校舎は全焼し、終戦とともに廃校となりました。現在は門柱だけが残されています。


    【広島城】アクセス
    電車:JR広島駅より市電 紙屋町西・東 電停から北へ徒歩約15分

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