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 トップページテーマ日本100名城探訪記鹿児島城 第97番 鹿児島城
第38話 鹿児島城
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北東隅石垣
日本100名城スタンプ設置場所
鹿児島県歴史資料センター黎明館
わずかにしか造られなかった堀の北東隅の部分がスタンプのデザインとなっています。鬼門にあたる北東隅はいくつかのお城に見られるように角をわざと欠いた状態になっています。その前にある堀には蓮の葉がびっしりと生い茂っていました。

■探訪記(2010.08.10)
 所在地 : 鹿児島市城山町7番2号



 加賀前田家に次ぐ全国第二位の77万石という石高を有した島津氏の居城にしてはあまりにも小さすぎるのは、やはり関ヶ原の戦いで石田三成率いる西軍に与していたからだといえそうです。ただ、西軍諸将の石田三成や小西行長、宇喜多秀家などがことごとく取りつぶされたのに対して、本領を安堵されたのは不思議に思えるかもしれません。あの毛利や上杉でさえ、領地を大幅に縮小され、小大名となりさがってしまったのですから。

 しかし、それには島津氏が西軍につかざるを得なくなった事情もあると思います。少し詳しい方々であれば、もともと島津は東軍につくつもりであったことは知っていることと思います。そのため、関ヶ原の戦いの時も、戦いに消極的にしか参加しませんでした。

 ただ、このことは、この訪問記のことからは直接関係ないので、詳細は述べません。しかしながら、この鹿児島城が造られたのが関ヶ原の戦いの翌年、慶長6年(1601)ということを考えれば、島津氏と徳川氏の微妙な関係がこのお城の造りと大変興味深い因果を感じざるを得ないのです。


西南戦争の傷跡

大手橋

御楼門(古写真)

石垣に残る弾痕

無数の弾痕

大きめの穴

威力の大きさが分かります

 鹿児島城の名称は不慣れです。なので、通称の「鶴丸城」を用いたいと思います。

 鶴丸城が造られた時期は、島津氏にとってとても微妙な時期だったわけです。なぜなら、関ヶ原敗戦の翌年であるこの時期は、今や事実上天下を治めている徳川氏により改易すら危ぶまれていたはずですから。その一方で、万が一徳川と事を構えた時の備えもしておかなければなりません。鶴丸城は、そういった事情の中でつくられたので、城郭そのものは非常に簡素です。堀はわずかにしかつくられていません。しかし、一方で「城山」という後詰の山城が背後にあります。

 そのわずかに造られた堀に往時の遺構でもある石橋がかかっており、そこを渡って旧本丸へと行きます。この先には、楼門があったらしく、古写真も残っています。桝形になっている本丸入口付近には多数の弾痕が確認できます。これは、この付近の石垣のそこかしこに残されているのですが、それらは、明治10年(1877)の西南戦争の時のものです。特に、西郷隆盛の私学校跡地である出丸跡付近の石垣が攻撃を激しく受けたものとみられ、より多数の弾痕が確認できます。


黎明館(本丸)

本丸へ

本丸跡(黎明館)

黎明館外観

御角櫓跡

麒麟の間

七高生久遠の像

 「薩摩は人をもって城となす」とは薩摩藩に伝わる言葉です。なんだか武田信玄の「人は城、人は石垣・・・」を想起させられます。

 本丸には現在、鹿児島県歴史資料センター黎明館という建物が建っています。本丸といえば天守閣ですが、一貫して造られませんでした。建物といえば、明治期の古写真にも写っている御隅櫓をはじめとした建物と、本丸御殿の程度だったようです。

 麒麟の間とは、本丸御殿にあった部屋のひとつで、礎石(柱)があったところに躑躅が植えられていました。


城山周辺


布積みの石垣

西郷隆盛洞窟跡

西郷隆盛自刃の地

トンネル

敬天愛人の扁額

 もう一度本丸を出て周囲を見て回ります。びっしりとハスの葉っぱで覆われた堀の石垣をよく見ると布積みになっています。つまり、切り石で隙間なく積まれていると同時に、すべての石が長方形に近い形をしています。これは全国的にも珍しい石垣といえると思います。全国のお城を長年見て回るうちに、このようなところにも気がつくようになってきました。

 そして、堀の周囲をぐるっと回ると、城山方面に登っていく道があります。鶴丸城の裏手にあるこの城山は、いわゆる後詰の城としての役割があったことでしょうけど、往時は山そのものが神聖視されて、入口は閉ざされていたとの事です。

 現在では、城山の頂上に容易に行くことができます。当日は激しい夕立に見舞われてしまいましたが、あきらめずに自転車で登って行きました。途中には、西南戦争の時の西郷隆盛が隠れた洞窟跡や、自刃の地などを見ることができます。ちなみにこの自刃の地の向かいには、JRの線路とトンネルの入口が見られます。このトンネルの入り口には扁額が掲げられており、西郷隆盛が愛した言葉、「敬天愛人」と揮毫されていました。



城山頂上からの桜島

2010.08.10訪問

第37話 飫肥城 第39話 人吉城

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