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■探訪記(2010.08.11) |
所在地 : 熊本県熊本市本丸
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何度も来ている熊本城ですが、いまだにこのお城の知られざる部分を毎回発見しています。それは、このお城があまりにも規模が大きいこと、そして平成の世になって再び「築城」がなされていることが理由だと思います。
そうです。熊本城は現在進行形で築城が進んでいるお城なのです。今回のスタンプラリーで立ち寄った熊本城訪問の時は、前回まではなかった本丸御殿や飯田丸五階櫓などを見ることができました。
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須戸口門 |
須戸口門付近
熊本城稲荷神社 |
須戸口門
平御櫓が見えます |
須戸口門の桝形
石垣が立派
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今回の登城口は須戸口門。いくつかある熊本城の入口のひとつです。
雨がぱらついていましたが、気にせずに登城開始。入口の受付で日本100名城スタンプを無事にゲットしました。手前にある櫓は「平御櫓」といいます。
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登城(重要文化財櫓群ほか) |
東竹の丸入口 |
重要文化財櫓群を見上げる |
打ち込みハギ積みの石垣 |
東十八間櫓(重文) |
不開門(重文) |
平櫓(重文) |
重要文化財櫓群1 |
重要文化財櫓群2 |
重要文化財櫓群3 |
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須戸口門の桝形をぬけると、竹の丸へ付きます。ここからは城内の案内表示によると、「二様の石垣ルート」と「櫓群ルート」のいずれかを経由して天守閣に向かうようになっています。
そこで、「櫓群ルート」を選択。東竹の丸へ向かいます。
東竹の丸から上を見上げると、立派な櫓群が目に入ります。これらの櫓群をはじめ、本丸からみて東側の曲輪にある建物は明治10年(1877)の西南の役の時におこった火災の際にも焼失を免れたものが多く、それらの建物は国の重要文化財に指定されています。
と同時に、石垣にも注目。この黒っぽい石は「熊本石」というそうです。加藤清正のお城に特徴的な「反り」が入った石垣は圧巻です。加藤清正が手掛けた石垣ということで、名古屋城の天守台石垣もこのような「反り」があったのを思い出します。また、打ち込みハギ積みは、切り込みハギ積みよりも石垣の模様が目立って自分好みです。
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飯田丸五階櫓 |
二様の石垣 |
二様の石垣と天守 |
右石垣上に本丸御殿 |
本丸御殿建物 |
数奇屋丸二階御広間 |
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源之進櫓からつづく重要文化財櫓群を見ながら進むと、先には天守閣並みの巨大櫓が見えます。望楼の上に望楼を乗せた形をしており、非常に特徴的です。そして大きい。以前までの熊本城訪問時にはなかった建物です。これが、再建された「飯田丸五階櫓」です。中にも入れますが、まずは天守閣へと向かいます。
天守閣を見ながら「二様の石垣」の先を進んでいくと、石垣上にまたも新しい建物が見受けられます。これは、飯田丸五階櫓」とともに今回楽しみにしていた再建された本丸御殿です。テンションが上がります。
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天守閣 |
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天守閣へ到着!
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この熊本城は大小の天守閣が連なる連立式とよばれる形式をしています。反りすぎるほど反っている天守台石垣も見ものですが、最大の特徴は、天守台よりも大きくはみ出している天守閣の大きさだと思います。わざわざ天守台よりも大きく造られているのはちゃんと理由があります。
通常、このような建物には外から石垣をよじ登ってくる敵を撃退するために「石落とし」を設けますが、熊本城の大天守閣には石落としがありません。その代わり、はみ出した部分全体が石落としの役割をしており、内側から床板を取れば、「全面石落とし」になるわけです。
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宇土櫓 |
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振り向いて、反対側をみると、これまた大きな「宇土櫓」があります。この建物は天守閣などの建物と違って破風に反りがなく、直線的であるなど、明らかに建築様式が異なるため、長らく他から移築された建物と考えられてきました。一説によると、小西行長の居城だった同じ熊本にあった「宇土城」の天守閣だったため、宇土櫓という名がついています。
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本丸御殿 |
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天守閣が正面に見えるこれらの場所は本丸ではありません。その証拠に、天守閣への登り口がありません。本丸へはぐるっと迂回して、現在見えている大小天守閣の裏側に回り込む必要があります。
ところが、以前はそうやって天守閣入口へ向かうことができたのですが、今回はその途中に本丸御殿が完成しており、その中を通ってでないと行けないようになっていました。つまり、天守閣内に入るためには、必ず本丸御殿を通過しなければならないような造りになっているのです。ちなみに、この通路は、「闇り通路(くらがりつうろ)」といいます。本丸御殿にあるこの地下通路は、昼間でも暗いことから、このように名前がつけられています。ちなみに、ここからも本丸御殿に行ける入口(闇り御門)があります。
本丸御殿の地下、「闇り通路」を通ってきて、やっと天守閣入口にたどりつけます。このまま天守閣に入ることもできますが、今回は本丸御殿の中を見たいと思っていたので、まずはそちらから見ることにします。
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本丸御殿(梅之間) |
本丸御殿(若松之間) |
本丸御殿(昭君之間) |
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この本丸御殿はかなり立派です。まだ新しいというのもあるのだと思いますが、「梅之間」「若松之間」、そして藩主の会見の間として使用されていた「昭君之間」などを見学することができますが、きらびやかな襖絵などは必見です。
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頬当御門付近 |
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本丸御殿や天守閣を見た後は、頬当御門から一旦外に出ます。熊本城の北西にある「加藤神社」付近から宇土櫓を見るためです。ここから見る宇土櫓は、深い空堀からそびえる高石垣の上に立ち、さながら天守閣のように見える絶景スポットです。「日本100名城スタンプ」のデザインもここから宇土櫓と天守閣を写した構図となっています。なので、同じ構図で写真撮影。それにしても、空堀からそびえる石垣がこれまた圧巻。驚きの連続です。
ただ、このころから再び雨脚が強まり、本降りになってきました。いや、本降りというよりどしゃ降りです。見た目にも、そして写真にも雨粒ははっきりと写ります。しかし、あきらめません。また、この日は人吉城からはじまって、熊本城訪問もほとんど終盤。いまさら傘を購入するのも馬鹿げています。しかし、もう一か所どうしても行っておきたいところがありました。それは、先ほど外側からしか見ていなかった「飯田丸五階櫓」です。
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飯田丸五階櫓 |
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飯田丸五階櫓は、飯田丸の南西隅にひっそりと建っていました。熊本城の主要な訪問コースから外れていることや、強い雨脚などにより、訪れる人はほとんどいなかったのです。中にいた係員のおっちゃんが、ずぶぬれになった私を見てずいぶん心配してくれました。
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飯田丸五階櫓内部 |
本瓦葺で漆喰で補強 |
櫓内から外を撮影 |
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おわりに |
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帰りは、櫨方門から長塀を見ながら元に来た道へと戻って行きました。加藤清正にも会っておきました。
現在進行形で再建が進んでいる熊本城。城の規模、石垣の見事さ、五階櫓を複数有する建物の大きさ。これらを総合するに、日本三名城の名にふさわしい名城といえます。このような巨大なお城が一地方都市に築かれ、現在まで存続し、さらには再建が進んでいるという奇跡。ほかの都市ではなかなか類を見ないのではないでしょうか。
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2010.08.11訪問
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