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■探訪記(2010.08.12) |
所在地 : 長崎県島原市城内1丁目
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連郭式の平城で、五層の天守閣の他に三重櫓(丑寅櫓・巽櫓・西櫓)が3つ存在する豪壮なお城です。堀も長方形に整備され、死角をなくすため角をいくつも設けています。城門は7ヶ所、平櫓の総数は33棟あったとのことです。これほどの城郭建築は大藩でも珍しいといえます。築城したのは大和五条(奈良県)から移封された松倉豊後守重政で、別名を森岳城といいます。
小さいころから何度も訪問したことがありますが、子どもながらに大きなお城だなと思っていた記憶があります。さらに大きなお城が隣県の熊本にあることを後に知り、全国にあるお城はすべてこんなに大きなものかと錯覚してしまうほどでした。
しかし、熊本はともかく、島原は4万3千石の小藩。こんな小藩に似合わない分不相応な巨城を建築したことが、あの有名な「島原・天草一揆」(島原の乱)を引き起こす要因のひとつとなったのです。
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島原城天守閣 |
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島原城は本丸まで車で乗り入れることができます。ただ、その本丸の周りを取り囲む内堀を渡る車道は、昭和になって付け加えられたもので、堀が隔てられ、石垣がえぐられていて若干残念な気がします。もともとは二の丸を経由してからでないと、本丸へは行けなかったようです。
この内堀がなかなかたいそうなもので、高石垣とともに島原城の威容がよく分かります。そして、その向こう側に五層の天守閣と三層の櫓群が見えるのです。島原藩は築城がされたころは、僅か4万石。後に7万4千石まで加増されたものの、これだけの城郭は10万石規模のものといってよいくらいです。
天守閣前が駐車場になっています。すぐに天守閣入口です。ここで日本100名城スタンプを押すことができます。
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五層五階の層塔型天守は、明治維新まで存続していたそうですが、その後、解体されてしまいました。現在の天守閣は鉄筋コンクリートで復元されたものです。初層にあるなまこ壁が特徴的ですが、往時の天守閣は上層にもあったということです。
天守閣は他のお城とは趣を異にします。最も特徴的なのは破風が全くないこと。しかしそれが逆に島原城の特徴を与えているとともに、すっきりとした印象を与えているように思うのです。
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天守閣より |
東側
有明海島原湾方向 |
北側
二の丸方向 |
西側
雲仙岳・眉山方向 |
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また、内部の展示はキリシタン関連の展示が充実しており、寛永14年(1637)の島原・天草一揆の時の資料などを見ることができます。さらに、屋上からは雲仙岳の威容や、有明海を望むことができ、なかなかいい眺めです。特に、寛政4年(1792)の島原大変を引き起こした眉山の崩落跡をはっきりと確認できます。ただし、この日は前日までの雨からは小康状態になったものの、雲も多く、眉山方面はかすんであまり見えない状態でした。
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彫刻家、北村西望 |
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地形を無視して造られたといわれる島原城の最高所は、西櫓がある付近になります。天守閣より早く、昭和35年(1960)に復元されました。現在では、民芸品などが展示されています。他にも島原城の本丸には艮櫓、巽櫓の三つの三重櫓が再建されており、往時の威容を垣間見ることができます。
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北村西望記念館(巽櫓) |
北村西望像 |
広場には作品が並べられている |
天守閣をバックに |
若き日の織田信長像 |
天草四郎像 |
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これら三重の櫓の中で、最も注目すべきなのが巽櫓で、島原出身の彫刻家、北村西望の記念館になっています。西望は、長崎の平和公園にある「平和祈念像」の作者として知られています。記念館中には、西望の作品が展示されていますが、建物の外にも多くの像が置かれています。その中でも、「天草四郎像」と「若き日の織田信長像」が目をひきます。
天草四郎は、寛永14年(1637)10月25日にはじまった島原・天草一揆の首領です。本名を益田時貞といい、関ヶ原の戦い(1600)に敗れて処刑された小西行長の家臣、益田好次の子といわれています。この時まだ、16歳でした。約3万7千人(2万7千人とも)の一揆軍は島原城よりさらに南にある原城(南島原市)に集結しました。初めは、幕府から派遣された鎮圧軍に対して善戦し、幕府側も多くの死傷者が出ました。戦いは、長期戦の様相を呈してきましたので、鎮圧軍は兵糧攻めに切り換え、一揆軍を追い込む作戦をとりました。そして、その後の総攻撃によって一揆軍は全滅。天草四郎も戦死してしまいました。この像は、その一揆の時のいでたちですが、手を合わせて目を閉じている姿が印象的です。同じ像が原城の本丸にもあります。
若き日の織田信長像もここだけでなく、同じものが岐阜城にもありました。岐阜城といえば、織田信長が一時期居城としていたお城です。弓を構えた騎馬像で、織田信長のイメージとすこし違います。若き日の信長ということで、躍動感がある印象を受けます。
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2010.08.12訪問
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