|
■探訪記(2009.08.09) |
所在地 : 佐賀県佐賀市城内2-18-1
|
|
鯱の門 |
|
佐賀城にある江戸時代から現存する唯一の建物です。本丸の入口門として、天保9年(1838)に完成しました。屋根に佐賀藩御用鋳物師谷口清左衛門によって造られた鯱が置かれており、鯱の門といわれています。
駐車場に車を停めたらすぐにあります。つまり、佐賀城の本丸へは駐車場からこの門をくぐるだけでたどりつけるのです。ただ、鯱の門がある本丸北面に対し、南側から西、北面にかけては逆コの字型に立派な堀がのこされており、鍋島氏36万石の居城たる威容がかろうじて感じられます。
|
|
明治7年(1874)各地で起こった士族の反乱のひとつ、佐賀の乱では、佐賀城は戦場となりました。この時、鯱の門は激しい攻防の舞台となったようで、門にはその時の弾痕がいくつも残されています。
|
|
|
|
復元された本丸御殿 |
|
鯱の門をくぐり、かつて本丸だった跡地には、平成16年(2004)に再建された本丸御殿があり、「佐賀県立佐賀城本丸歴史館」として開放されています。この施設は県立の施設ということもあって、入館が無料となっており、気軽に佐賀城や佐賀の歴史にふれることができました。
残念ながら館内は撮影できませんでしたが、当時の大名の住まいだった御殿の内部が復元されており、なかなか見どころの多い建物でした。また、写真のように外観もきれいに復元されており、さまざまな場所からいろんな見方ができる建物です。
|
>>佐賀城本丸歴史館 |
|
城内散策 |
|
この本丸南側には写真のような土塁が復元されていました。佐賀城の土塁には松や楠が植えられていますが、これは外側から城内を見通すことが出来なくさせる工夫で、城が樹木の中に沈み込んで見えることから「沈み城」という異名があるほどだということです。
さらに、本丸御殿への導水施設と考えられる遺構が発見され、保存展示されています。石垣の下を通る暗渠となっており、なかなか興味深い造りになっています。この石垣は、西南隅櫓台から続いており、その裏には堀があります。このあたりが往時の佐賀城の威容を窺い知れる場所のひとつといえると思います。
|
|
西南隅櫓台 |
|
修復された真新しい石垣は、本丸の南西隅にあったとされている西南隅櫓の櫓台です。かつて櫓があった場所へは登ることができ、そこから続く土塁やその先にある平城特有の幅の広い堀を望むことができます。この堀は、かなり立派なもので、その幅も広く攻め手も難儀したであろうことが容易に想像できます。その上、佐賀城は戦闘時には主要部分をわざと水没させて防御力を高める想定になっていたそうですから(この点も「沈み城」という異名のもとになったと考えられている)、その堅固さがうかがえるのです。
|
|
天守台 |
|
天守台が現存しています。平城すから高台にあって見晴らしがいいわけではありませんが、往時の面影をしのぶには最適なところです。ちょうど、鯱の門のすぐ近くに位置し、鯱の門を見下ろすことができます。また、その反対側の本丸のほうへ目をやると再建された本丸御殿の建物があるのです。
天守台上はただの広場になっており、ベンチが点在するさみしいものとなっていますが、かつてはここに五層の天守閣がそびえていたそうです。鍋島勝茂によってつくられたその天守閣は享保11年(1726)の大火で焼失してしまったといいます。
|
|
2009.08.09訪問
|
ページのトップ |
|
|
|
100名城トップ |