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第23話 名護屋城
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大手口
日本100名城スタンプ設置場所
佐賀県立名護屋城博物館
スタンプのデザインは見取図などから判断するにおそらく山里口の桝形付近の石組を俯瞰したものだと思われます。実際に訪問した際は山里口には立ち寄らなかったので、代わりに大手口付近の写真を掲載しています。

■探訪記(2009.08.12)
 所在地 : 佐賀県唐津市鎮西町名護屋


佐賀県立名護屋城博物館

佐賀県立名護屋城博物館は入館無料です。

駐車場に車を停め、案内表示に従って名護屋城跡の方へ登ってくると見つけることができます。かなり立派な建物で、無料にしては展示物も充実しており、佐賀県の教育行政に感嘆します。そういえば、同じ佐賀県の佐賀城本丸御殿も入館料は取っていなかったと記憶しています。

「日本100名城スタンプ」の設置場所もここになります。割と多くの人がスタンプを押しに来るようで、「100名城スタンプありますか?」の問いに快く「どうぞ〜」と答えてくれました。


 名護屋城の主郭部分です。
 全国から諸大名が駆り出され、この肥前名護屋付近に集結、布陣したわけですから、到底すべての部隊を城内に収容するわけにはいかなかったらしく、この名護屋城周辺に陣を構えていたようです。博物館内にはその陣立ても含め、すべてがわかるように超巨大なジオラマを展示していました。その規模はこれまで様々な場所で見てきた往時の復元模型と比べても最大級のものだったといえるでしょう。とにかく圧巻の展示です。


搦手口

本丸御殿

天守閣

安宅船と亀甲船
 

 安宅船(写真左・あたけぶね)は日本水軍の最強軍船。全長38m、全幅11.7mあったそうです。これを10分の1で模型展示してあります。10分の1とはいえ、全長が3.8mですからかなり巨大な展示といえます。

 また、ならんで展示されていた亀甲船(写真右)の模型も巨大なものでした。李舜臣率いる朝鮮水軍が実際に使用したといわれている軍船です。


大手口

大手口入口櫓台

まっすぐにのびた道

三の丸石垣

 名護屋城は他のお城と決定的に違うのは防御のためのお城ではないことだといえます。このお城は秀吉が晩年におこした朝鮮出兵の前線基地だったのです。そういった先入観があったからなのかも知れませんが、どことなく遺構にも「切実さ」が感じられません。淀城や伏見城などと同様、どうしても、晩年の秀吉が趣味?の感覚で造ったお城のひとつというイメージが付きまといます。

 ただ、前線基地だったとはいえ、諸大名らによるいわゆる天下普請で築城されているお城ですからかなりの規模と豪華さが遺構からは見て取れます。このような居城を造らされたことによる諸大名や民衆の苦労が想像できます。せっかく秀吉のもとで天下統一された直後。これから戦乱で疲弊した領国や領民が立ちあがっていこうとしている時だったはず。

 こんな感じで、このお城が築かれた当時のことをあれこれと思いながら大手口から登城開始。入口脇にあった櫓台を見ながらまっすぐな直線道を歩いていきます。左側に石垣が残されていますが、その上が三の丸になります。まっすぐな道は防御を目的とした本来のお城であれば造りはしないだろうなぁと思わせるような直線道です。


東出丸

東出丸入口
右が東出丸、左が三の丸

東出丸全景


東出丸からの景色


 大手口からの直線道を登った突き当たりにはいわゆるT字になっていて、右に東出丸という曲郭があります。本丸方面は左の三の丸経由となります。この東出丸は大手口や三の丸の警護のための詰所だったそうで、千人枡という別名もあります。櫓台がのこされていました。

 また、この東出丸からの景色は見通しがよく、海側・陸側ともに遠くまで見渡せます。往時はこの一帯に諸大名が布陣していたわけですから、かなり壮観だったこととおもいます。


三の丸

 東出丸をひき返して三の丸へ。中央にここが三の丸だったことを示す石碑が建っており、中央に井戸跡があります。それ以外は特に目立った遺構は残されていません。現在では木がたくさん生い茂っており、築城当時の面影はなくひっそりとしています。

 ここから本丸へと行くことができます。二の丸は本丸を挟んで反対側になるので、三の丸から直接本丸方面へ行くことができるのです。


本丸大手

 三の丸から本丸へはこの本丸大手という道を伝っていくことになります。本丸入口はどうやら場所が途中で変わったらしく、その遺構があったそうです。実際見ても本来の入口だったところと別のところから本丸へ行くことができるようになっています。ただ、このあたりのことは詳細に調べたわけではありません。

 この本丸大手を越えたところがいよいよ本丸になります。


本丸

本丸跡全景

呼子大橋

発掘調査中

 本丸はかなり広い印象です。また整備されていて見学も容易です。遺構または現存する建物はなく、中央にかつてここが名護屋城の本丸だったことを示す碑が建てられているくらいです。

 眺めはさすがによく、遠くまで見渡せました。呼子大橋が遠くに見えます。かつてはそれらの一帯も諸大名の陣地があったことでしょう、さらに、発掘調査が今でもつづけられているのか、ブルーシートが各所に見られました。復原模型にも再現されている御殿風の建物は礎石があったところが分かつようになっていますが、現在進行中の発掘調査を受けて、さらに大きな発見や歴史事実が出てくるかもしれません。

 本丸ということで、もちろん天守台もありました。


天守台全景
奥の盛り上がった所が天守閣跡

天守台跡の碑
「名護屋城天守臺址」とある

天守台跡
礎石(柱があったところ)が分かる

弾正郭

二の丸

本丸石垣の遺構

 天守閣は復原模型を見た限りでは、五層の巨大建物だったことがうかがえます。天守閣は権力の象徴ですから、秀吉(豊臣家)の栄華を天下に示す豪華なものだったと思います。本丸からはほとんど標高差がないように見えますが、二の丸などの一段低いところから見上げるとやはり、高石垣にのっかった壮観な建物だったことが容易に想像できるのです。

 現在は脇に碑が建っており、かつて柱があったとおぼしき所にはその礎石跡を示すように平らな丸い石が埋めてありました。



 帰りは二の丸からさらにその一段下、弾正郭という曲郭を越えて、搦め手から出てきました。なかなか大きなお城、もちろん日本100名城のひとつに恥じない、規模と遺構の保存状況、歴史的な位置づけをしてはいます。ただ、やはり、侵略のためのお城という側面を考えると、今まで見てきたお城とは違う独特の感情と印象を受けてしまったのでした。

2009.08.12訪問


名物「呼子のイカ」

 名護屋城見物の後は「呼子のイカ」を堪能すべし。

 名護屋城訪問のあとに立ち寄ったお店で撮影しました。イカの活き造りです。活き造りで味わうと、コリコリした食感が楽しめます。個人的にはイカソーメンのような柔らかい食感のものが好みなのですが、やはりここでは超新鮮な状態で食するに限ります。

 呼子のイカは「ヤリイカ」とよばれているそうですが、正式には「ヤリイカ」ではなく、「ケンサキイカ」なのだそうです。イカといえば釣ってもよし、食してもよしの「アオリイカ(自分の地元ではミズイカとかモイカとか呼んでいた)」のうまさが際立ちますが、ここ呼子のイカもかなりのおいしさで間違いありません。

 活き造りを堪能した後は、ゲソてんぷらにしてもらえます。とにかくうまい。

■こんなサイトを発見!

 呼子のイカドットコム   
http://www.yobuko-ika.com/

第22話 大野城 第24話 津和野城

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