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■探訪記(2009.08.14) |
所在地 : 島根県鹿足郡津和野町後田
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ゆかりの地「津和野」 |
乙女峠記念聖堂 |
津和野町は御先祖様ゆかりの地と聞いたことがあります。
遠藤周作の『女の一生〈1部〉キクの場合』に詳しいです。いわゆる「浦上四番崩れ」です。長崎の浦上の人たちはこの時の流刑地での苦難を「旅」とよんでいます。「旅」とは浦上の人たちにとっては、このような別の意味が込められているのです。
その津和野には今までも二度ほど訪れたことがありますが、この時に初めて「乙女峠」に行くことができました。それまでも「旅」に関するいくつかの本を読んだり、個人的に調べてみたりしましたが、実際の場所に行くのは初めてだったのです。現在、写真にある乙女峠記念聖堂があるところには、廃寺となったお寺、光淋寺があって、浦上からやってきた人々が収容されていました。
乙女峠へいったのち、もう一つの目的、津和野城跡への登城を達成すべく、城跡がある山上行きのリフト乗り場へ向かいました。ところが・・・
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リフト小屋 |
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レンタサイクルで乙女峠をはじめ、津和野の散策をした後にリフト小屋へ到着したのですが・・・
何と営業時間が終了していました。17時終了。実際は17時まえに到着したのですが、これから登って散策して再びリフトで下って・・・というほどに時間は残っておらず、登城を断念しました。遊歩道でも登ることができるようですが、夕方でしたしマムシやクマが怖くてあきらめました。誰もいない夕刻に山上の城跡に行くってのは男性かつ大の大人でも尻込みしてしまいます。
せめてもとリフト小屋のおっちゃんに「100名城スタンプは・・・」と尋ねると、「あるよ〜」とあっさり返事。よかった〜。
今回はスタンプ押して退散です。いつかまた来ようと思いました。
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藩邸跡、御物見櫓、馬場先櫓 |
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山上にはいけませんでしたが、ふもとにも津和野城の面影があります。まずは藩邸跡。ふもとに藩主の居館を設ける山城は多いです。特に太平の世となった江戸時代に多く見られます。あの上杉謙信でさえ春日山の山上に居館をかまえていましたが、次の景勝の代になるとふもとに居館をかまえていたことを思い出します。津和野城の藩邸は嘉楽園といいます。北側は現在は県立津和の高等学校の敷地となっています。
次に御物見櫓。白壁とナマコ壁が美しいです。ナマコ壁を持つお城もいくつか見られますが、それらに似た造りです。もともとは別の場所にあったそうですが、移築されて現在も残っています。
最後に馬場先櫓。津和野城にあった建物のうち、往時の位置に現存する唯一の建物ということです。先の御物見櫓とは全くつくりが違うので一見同じお城の建物であるとは疑わしいほどです。藩邸は嘉永6年(1854)の大火で焼失した後で安政3年(1856)に再建されているので、隣接する位置にあるこの櫓もそのころの再建と考えられていますが、正式な記録がなく判然としないとの事です。この櫓の南西に馬場があったことからこのような名がつけられたということです。
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2009.08.14訪問
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