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第25話 高松城
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月見櫓
日本100名城スタンプ設置場所
東入場口、西入場口

完全に撮影に失敗です。逆光で時間帯もよろしくなく、露出の調整もなっていません。後にスタンプと同じアングルで撮影できる場所が判明しました。城内の石垣上です。外の堀ぎわから半身を乗り出して撮影しましたが、無駄な努力になりました。次に訪問する際に撮影しようと思います。

■探訪記(2009.09.21)
 所在地 : 香川県高松市玉藻町


全国的にも珍しい「水城」

 とある案内板にあったこの写真が、日本100名城スタンプと同じアングルのようです。次回訪問の際は、必ずや同様の写真を収めたい。そう思いました。

 さて、この高松城。うどんで有名な「讃岐うどん」のお膝元であり、四国地方の中心的な都市である高松市の中心地に位置していることからアクセスが容易でこれまでも何度も訪れています。高松城は、城ファンにとっても垂涎の全国的にも珍しい水城、とくに海水を堀に引き入れた「海城」なのです。

堀にはそこそこのサイズのチヌ(クロダイ)やマダイといった釣り好きにとっても格好のターゲットがヒラを打っています。餌場には人間が餌をふるまうのが分かっているのか、たくさんの魚が寄っているのです。

鯛のエサやり体験

 残念ながら営業時間外で鯛のエサやり体験はできませんでした。しかし、堀を覗くとチヌ(クロダイ)やマダイなどが乱舞しています。こんな光景を釣り場で見てみたいと本当に思いました。かなりグッドサイズのお魚たちなのです。

 このお魚たち、もちろんエサやり体験でふるまわれるエサが目当てだと思いますが、写真中央にあるように海水導入門から入ってきたものと思います。今では高松城の名物になっていて、大願成就をもじった「鯛願城就」というのぼりまでありました。


おびただしい数のチヌ、マダイ  これが釣り場だったら・・・

艮櫓(うしとらやぐら)

 早朝、高松城訪問。この年(2009年)は、敬老の日と秋分の日が飛び石になり、祝日方の関係でその間の日も休日となったことで、9月にも大型連休が出現しました。「シルバーウィーク」とよばれたこの大型連休を利用しての高松訪問です。讃岐うどんも数軒はしごしました。

 さて、高松城へは、駐車場がある東入口の方からお城にはいりました。この東門は方角的には高松城の南東にあり、北東を示す「艮(うしとら)」と違う位置にあります。これは、もともと東の丸の北東隅にあったこの櫓を昭和40年(1965)に高松市が移築復元したためです。元々、ここは太鼓櫓と呼ばれる櫓があったそうです。もともと艮櫓があったところは、現在では香川県県民ホールの敷地内になっていますが、石垣と櫓台が復元されています。

 この艮櫓は三重の立派な櫓です。二重櫓までは珍しくありませんが、三重櫓となれば小規模なお城でいえば天守閣に匹敵する大きさといえます。高松城はこの三重櫓が艮櫓のほかに月見櫓が残されていて、ともに国の重要文化財に指定されているのです。


披雲閣

 艮櫓(旧太鼓櫓跡)がある郭は細長く、桜の木がたくさん植えてありました。この付近は「桜の馬場」とよばれる馬場があったところで、往時には現在の2倍もの規模があったといいます。この桜の馬場を抜けて、桜御門跡をくぐった先に「披雲閣」があります。

 「披雲閣」は藩の政庁や藩主の住まいとして使われていたそうです。現在の建物は大正6年(1917)に完成したものです。立派な建物ですが、これも往時には現在より約2倍も大きな建物だったそうです。このオリジナルの方は、明治5年(1872)に老朽化のために取り壊されてしまったとの事です。

また、隣接して陳列館があります。ここの中には高松城や歴代藩主等に関する文化財や資料が展示されているほか、模型がありました。この模型を見ると、高松城の「水城」としての縄張りがよく分かります。江戸城や姫路城と同様に渦状に曲郭が配置されていて、天守閣がある本丸へは、すべて橋でつながっています。


高松城模型

月見櫓・水手御門・渡櫓

 この三枚の写真は一見全く違うところを撮影したもののようですが、棟続きとなっています。特に月見櫓は高松城に現存する三重櫓のひとつで国の重要文化財に指定されています。日本100名城スタンプのデザインにも使用されている建物で、高松城の顔になっている建物といえるでしょう。


天守閣跡

2009年9月21日

2006年1月24日

天守閣模型

 写真左が今回訪れた際の天守閣跡の写真です。石垣が解体され、積みなおしの工事がなされています。もちろん立ち入りができず残念でしたが、このような工事がおこなわれる背景には天守閣再建の夢が見え隠れします。それというのも、明治期まで天守閣は現存しており、老朽化を理由に解体される直前には古写真も存在しているのです。さらに2005年、ケンブリッジ大学図書館所蔵の新たな古写真も発見され、高松城天守閣の詳細な形がほぼ判明しているのです。今回の訪問ではこのように工事中でしたが、2006年の前回訪問の際には、松平氏初代藩主松平頼重(徳川光圀の実兄)をまつっている玉藻廟がありました。

 形は、生駒氏時代にあたる創建時は、外観は下見板張りの黒色でしたが、松平氏が入封してから三層五階の白漆喰塗りに改築されました。小倉城(福岡県)や津山城(岡山県)にあった南蛮造と呼ばれている珍しい形の外観をしていたといわれています。この天守閣模型は陳列館の中にある模型で確認できます。なかなか立派な建物で、再建されれば松山城天守閣をしのいで四国では最も大きい天守閣となるそうです。


東の丸石垣

 高松城跡である玉藻公園を出て、堀沿いに北側をぐるりと回りながら駐車場方面に帰っていくことにします。

 ちょうど月見櫓を外側から見る格好になるのですが、この付近、浅い堀があります。そこには今度は小アジが群れていました。堀でコイやフナあるいはハクチョウなどの水鳥を見ることはしばしばですが、アジやタイなどを見るのは驚きです。

 さらに先に進んだあたりが高松城を拡張した際に新たに造成した東の丸付近になります。この付近は現在では香川県県民ホールなる施設があるのですが、石垣だけは建物をかわすように復元されています。その復元石垣の端が現在南東隅の旧太鼓櫓跡に移築されている艮櫓が元々あった櫓台なのです。


2009.09.21訪問

第24話 津和野城 第26話 江戸城

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