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第49話 岡山城
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後楽園
日本100名城スタンプ設置場所
岡山城天守閣入口
スタンプのデザインは後楽園の中にある「五十三次腰掛茶屋」という建物付近から天守閣を望んだ姿だと思われます。後楽園の苑池が天守閣の美しさを際立たせています。

■探訪記(2011.03.28)
 所在地 : 岡山県岡山市北区丸の内2-3-1


岡山城月見橋

岡山城はその北側と東側を旭川に守られた城郭をしています。いわゆる「後ろ堅固の城」といってよいかと思います。その旭川をはさんで北側にあるのが日本三名園の一つとして名高い「後楽園」になります。ちなみに、現在の県名である「岡山」とはこの岡山城のあった小高い山の名称からきています。


月見橋

月見櫓

天守閣

この時期、ある伝手から全国の橋に興味をもち、いろいろと調べていた最中だったので、この後楽園と岡山城をつなぐ「月見橋」の構造に興味を持ちました。カンチレバートラス橋です。珍しい構造をしています。自転車にもカンチブレーキという構造のブレーキがあります(最近ではあまり見ませんが)。なるほどそれと同じように上に三角形が突き出ています。ここで左右を引っ張って支えているのでしょう。ちなみに、かつては通行料10円を支払ったとの事です。

岡山城へはこれまでも何度か訪問しています。天守閣の外観が特徴的ですぐに分かります。なかなか好きなお城の一つです。今回は大手からではなく、裏口を意味する搦手から登城することにしました。


搦手から本丸へ

開祖宇喜多氏顕彰之碑

廊下門

表書院建物跡表示

宇喜多秀家のころの石垣

泉水

穴蔵

岡山城の搦手に位置する門はこの廊下門です。この門の上部はその名の通り、廊下になっていて、表書院と天守閣のある本段とをつなぐ位置にあります。

本丸に入ったところにある広場が表書院跡です。表書院では岡山藩の政治が行われていました。現在、これらの遺構は泉水などの一部を除いて地中に埋まっているとの事ですが、写真のように建物跡を示す表示があります。


月見櫓

岡山城の本丸は三段になっています。これらを一二三段といいます。このうち、二番目の中の段に表書院があったのですが、その北西隅にあるのが月見櫓。北西隅でお月さまがよく見えるとは思えないのですが、この名がついています。丘の建物とはちがう雰囲気を醸し出しているのは、この月見櫓は空襲にも耐えた実績がある江戸時代からのこる建物だからでしょう。旧国宝、現在では国指定重要文化財になっています。


天守閣

いよいよ岡山城の天守閣へ。

まずは外観。美しいです。黒色の外観から岡山城は烏城とよばれています。そして、さらに特徴的なのは三段の望楼型をしていることです。初期の天守閣によく見られた形式です。よくみると二階建ての建物を三つ重ねたような形になっています。

石垣に目をやると、これが何と野面積み。これも戦国初期の特徴の一つですが、大名クラスの居城の、さらに天守台に使われているのは極めて珍しいでしょう。これもさらによく見ると赤茶けた石垣がところどころにあり、第二次世界大戦中の空襲で焼失した跡がうかがえます。ちなみに現在の天守閣は戦後に外観を復元した鉄筋コンクリート造になっています。


月見橋がみえる

後楽園方向

金のしゃちほこ

天守閣からの景色です。遠くを見がちですが、目の前の鯱鉾がまたきれいです。最近修理されて金ピカの鯱鉾がたくさん乗せられました。


不明門から大手門へ

不明門


不明門
(下の段から)

廊下門上


 本段と表書院跡をつなぐ要所にある門です。現在では再建されたものが置いてありますが、当時からこのように立派だったことでしょう。ところが、この門はほとんど使われることがなかったため、このような名前がついています。それならば、当時、本段へ行く際に使われていたといわれている渡り廊下(廊下門)へ向かいましたが、現在ではこのように通り抜けることができなくなっています。


鉄門跡付近石垣

不明門下石垣

宇喜多氏時代の石垣

 そこで、さらに下の段へ。

 この付近の石垣はかなり立派です。宇喜多氏時代のもの、その後の小早川秀秋時代のもの、そしてその後を継いだ池田氏時代のものが混在しています。解説文にもその旨が書かれてありました。さらに、最初の築城者である宇喜多秀家の時代の石垣は地中に埋まっていましたが、一部は展示されています。この展示は、以前訪問した際はなかったと記憶しています。


大手門付近

大手門付近の巨石

大手門付近の巨石

 そして、大手門周辺へ。

 どこのお城でもそのような傾向にありますが、大手門付近の石垣は巨石を用いたものが多くなっています。例外なく、この付近の石垣はほかのものよりも大きめのものを使っていました。話はそれますが、このような巨石で思い出すのが、やはり大阪城の「蛸石」。あの石の大きさは圧巻です。


後楽園

マンホールのフタが桃太郎

岡山城の堀

旭川越しの天守閣

日本三名園といえば、金沢の兼六園、水戸の偕楽園そしてここ岡山の後楽園。これらに共通しているのはお城に隣接した大名庭園であること。ひょっとしたら、防御の意図もあったのかもしれません。つまり、庭園と称しながら実は城郭の中に組み入れ、有事の際は曲輪の一つとして機能させる。まさに、一石二鳥です。

さて、大手門を出て、堀沿いにぐるっと回って旭川から例の月見橋を渡って、後楽園の敷地に入ります。後楽園は旭川の中州に築かれた庭園のようで、周りは川に囲まれています。


梅林の梅

廉池軒

延養亭

詳細は述べませんが、天守閣を借景にした景色はなかなか美しいです。考えれば、金沢城も水戸城も天守閣はありませんので、日本三名園のうち、天守閣をバックに景色を楽しめることができるのはここしかないのです。

特に、五十三次腰掛茶屋なる建物の近くからの景色がいいです。日本100名城スタンプのデザインにも採用されています。苑池、築山そして天守閣が見事に調和しています。


五十三次腰掛茶屋からの天守閣




後楽園の南端にあるモニュメント「水辺のももくん」
岡山は誰もが知っている昔話「桃太郎」の舞台なのです

2011.03.28訪問

第48話 首里城 第50話 月山富田城

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