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■探訪記(2010.12.29) |
所在地 : 沖縄県那覇市首里金城町1-2 |
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上の毛 城壁沿いルート |
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沖縄都市モノレール線、いわゆる「ゆいレール」。この終着駅が首里駅。名前の通り、首里城の最寄りと考えられますが、ここから更に歩いて15分くらい。ぼちぼちな距離にあります。
このゆいレール首里駅から行くと、首里城の「上の毛エリア」とよばれる場所に到着します。お城の東側に位置しているのですが、首里城は東西にのびる細長い丘陵を西から順に登城することを想定して造られているようで、朱礼門などのいわゆる入り口にあたるのは、この「上の毛」の反対側になるようです。
それでも、そこに至るまでは「城壁沿いルート」という名前がある通り、グスク独特の曲線的な石垣を楽しみながら歩くことができます。
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世界遺産「園比屋武御嶽石門」 |
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城壁沿いルートを首里城の案内所「首里杜館」方面に向かう途中にある、なかなかどっしりとした重厚な門。そんなに大きくなく、さらに実際にくぐってどこかに行けるわけでもないので、決して目立つ門ではありません。門の名前は「園比屋武御嶽石門」と表記し、「そのひやんうたきいしもん」と読みます。この門、実は単独でユネスコの世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつに数えられているのです。
すると、どこからか飛んできた一羽の鳥。なかなか美しい鳥を発見。体色は青で、おなかの部分はオレンジです。ずんぐりした体形で、くちばしはとがっています。種類まではわかりませんでした。
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首里杜館 |
首里杜館
外観はこのように石造り |
首里城
手前左端に守礼門 |
主郭部分拡大
一番大きな建物が正殿 |
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まずは首里杜館へ。ここは首里城観光の拠点。ビジターセンターのようなところです。ここで「日本100名城スタンプ」をゲット。スタンプのデザインは正殿を正面から撮影したものでした。第100番ですから、日本100名城の中で最も南にあるお城ということになります(ちなみに最北は「根室半島チャシ跡群」)。
首里杜館に展示されていた模型がまたまた圧巻。わかりやすいです。往時の姿を再現している模型はよく見受けられます(特に肥前名護屋城の巨大ジオラマが圧巻でした)が、ここで模型になっているのは首里城の現在の姿です。太平洋戦争末期の沖縄戦で多くの建物が破壊され、その後は大学のキャンパスになるなど、決して順調に時を重ねて現在に至ったわけではありませんが、写真からもわかるように、このように往時の姿をよく復元しているのが分かるかと思います。
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守礼門 |
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そして守礼門。
二千円札にも描かれている首里城の中でも最も有名な建物の一つです。実際はそんなに大きな門ではないですが、同じ日本の城門とは思えない趣を感じます。朱塗りのであることをはじめ、何ともたとえ難い琉球独特の建築です。その雰囲気からこの地で栄えた独特の文化を感じることができます。
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首里城(無料区域) |
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首里城は無料で開放されている部分と、有料区域に分かれます。大体のところは無料で行け、奉神門より先の主郭の部分だけが有料になっています。この絵図を見るとよく分かるかと思いますが、これからその正殿がある主郭まで、歓会門、瑞泉門、漏刻門、広福門という順序で登っていきます。それにしてもどの門もなかなか雅な名前がつけられています。
歓会門は両脇にシーサーが控えます。その先が瑞泉門。その名の通り、門の脇には泉があって龍樋と名付けられています。瑞泉門をくぐるとちょうど枡形のような小さな区画があり、漏刻門に至ります。
漏刻門の先は眺めがよく、その脇に日影台というものがあります。日影台とは日時計のことです。琉球王国時代、日時計を用いて時刻をはかっていました。奥の建物は共屋といいます。中には万国津梁の鐘があります。2000年に沖縄でサミットがあった時、その会場となった建物が「万国津梁館」だったことを思い出しました。「万国津梁」とは、わたくしなりの解釈ですと、「世界の架け橋」とかいう意味になるでしょうか。まさに、海上貿易で栄えた琉球王国が目指した国の姿をあらわした言葉といえるかもしれません。
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広福門 |
広福門内側から |
系図座・用物座 |
木曳門 |
京の内 |
西のアザナ |
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広福門をくぐった先が無料区域の最後の場所になります。この先に奉神門というおそらく城内最大の門(というか門を兼ねた建物というべきかも)があり、その先から有料区域になります。ここで引き返すのも一つの手だとは思いますが、やはり正殿を見ないと首里城の魅力は語れないと思います。
休憩所として使用されている系図座・用物座の裏側には木曳門があり、その先には何と森がひろがります。この森は、「京の内」というところで、「気の充満する聖域」だとということです。この「京の内」の最も西端に位置する場所にある見張り台が西のアザナ。那覇市街が一望できる首里城内で最も見晴らしのいい場所のひとつといえるでしょう。那覇市街方向は丘陵地が広がり、高い山はほとんどありません。水の確保が困難だったため田んぼがほとんどないと誰かがいっていました。真偽のほどは定かではありませんが、そう信じさせられる景色です。
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西のアザナから
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琉球舞踊の披露もやっていました
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首里城(有料区域) |
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いよいよ奉神門から正殿へ。
ここが首里城の中枢部です。ここから先が有料になっています。正殿は、この時朱の塗り替え中で足場が向かって左半分に組まれていました。しかしながら、その美しさは圧巻。車寄せの部分の装飾もなかなかのものです。よく見ると上にはシーサーがいました。
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南殿 |
書院・鎖の間 |
庭園 |
北殿
上の写真(南殿)と対照的 |
二階御殿
にーけーうどぅん |
正殿入口
いよいよ中へ |
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そこから正殿へは周囲の建物から行くことになります。このあたりの建物は復元されたものですが、一部は当時の様子を忠実に再現したものもあり、見どころが多数あります。国王の近習や国王自身が居住したところなどがこの付近にあたり、書院や庭園などを見ることができるのです。特に、南殿の庭園が特徴的。サンゴとおぼしき石を配置した庭園です。何かの本で読みましたが、この南殿が日本風なのに対し、北殿は中国風な建築をしています。正殿を琉球とするとつまり、琉球は日本と中国の間に位置しているということを象徴しているというのです。
正殿内部は撮影が可能です。ありがたい。何と中身は重層になっていて驚きです。正殿と似たような建築で寺院の金堂などを想像しがちですが、大体は外見と違って中は重層になっていることは珍しいですからね。
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儀式の様子を再現した模型がありました
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正殿の遺構 |
一階御差床 |
輯瑞球陽 |
二階御差床 |
王冠 |
三階には行けません |
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案内板によると3階建てになっていて、1階(下庫裡)は国王自らが政治や儀式を執り行う場所で、2階(大庫裡)が国王や親族、神女たちが儀式などを執り行う場所。3階は通風を目的とした屋根裏部屋だったとの事です。
まずは一階から。
朱塗りの内陣が豪華絢爛。中央には「御差床」という玉座があります。国王は通常は二階におり、儀式などの時に一階に降りてきてここへ座ったとのことです。一段高くなっています。そして、上には「輯瑞球陽」の扁額が。「しゅうずいきゅうよう」と読むらしく、琉球にはめでたい印が集まっているという意味になるとのこと。何と揮毫したのは中国、清の第五代皇帝、雍正帝ということです。
次に二階。
ここにも御差床があります。一階のよりもさらに豪華です。上にかかる扁額は「中山世土(ちゅうざんせいど)」琉球は中山王が治める土地であるという意味です。これを揮毫したのは康熙帝(清国第四代)。世界史上の有名人の書がこんな場所で見られるとは意外です。他にも乾隆帝、嘉慶帝、道光帝、咸豊帝、同治帝の扁額が飾られていたという記録(このうち、乾隆帝揮毫の扁額は確認しました)が残されています。現存していればと悔やまされます。
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朱色の足場 |
淑順門 |
右掖門 |
右掖門くぐったところ |
久慶門 |
旧第三十二軍合同無線通信所跡 |
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もういちど外へ。足場が組まれていますが、その足場もさりげなく朱色。観光客に配慮しています。こういうさり気ない工夫などには感動する方です。こちとら遠方から観光に来ているわけで、お目当ての建物が工事中だったなどというオチは残念でなりません。しかし、少しでもこのように来てくれた人に対して気を遣ってくれるだけでありがたく思うのです。そういえば、首里城は年中無休。いつ来ても入れなかったということの内容になっています。
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弁財天堂と円鑑池 |
円覚寺跡 |
沖縄師範学校跡 |
円鑑池の天女橋 |
龍潭 |
玉陵 |
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その後、いくつかの門をくぐってやっと首里城散策終了。円鑑池、龍潭という饗応用の人口池や、円覚寺跡、それから世界遺産に登録されている玉陵などを見学して終了。しっかり見ようと思ったら、半日またはそれ以上はかかることと思います。
ちなみに・・・
首里城散策にはスタンプラリーが便利。単にスタンプを集めるというだけでなく、主だったところは網羅していますので、スタンプ設置場所に沿って見ていけば全てを見学できるのです。私はコンプリートしました。いつか、日本100名城スタンプも同じように制覇したいと思っています。
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2010.12.29訪問
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100名城トップ |