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虎口跡 |
日本100名城スタンプ設置場所 |
石寺楽市会館、観音正寺 |
スタンプの図柄は平井丸といって、観音寺城でも最大規模の郭にある遺構です。あまりに広いお城なので、この場所を特定することができませんでした。 |
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■探訪記(2009.03.15) |
所在地 : 滋賀県蒲生郡安土町石寺ほか
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観音寺城は佐々木六角氏が築城した日本有数の山城です。何せ、標高433mの繖山(きぬがさやま)全体に郭(くるわ)を配置して、土塁や石塁で守っていたのです。その郭の数ゆうに100以上、小さいものまでいれれば1000を超えたということですから、その規模は圧巻です。その上、多くの支城を擁していたといいますから、全国有数の巨大な山城だったことはまちがいないことでしょう。
このお城を一日ですべて見つくすことは到底不可能といえます。それだけ巨大なのです。それゆえに、いまだに知られていない遺構もきっとあることと思います。
ちなみに、観音寺城があるのは滋賀県蒲生郡安土町です。あの織田信長が築城した安土城は目と鼻の先で、安土城のある安土山とは尾根続きの位置にあります。
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1.登り口 |
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この観音寺城へ登っていく道はいくつもあるそうですが、観音正寺の表参道から登って行くのが最も分かりやすいそうです。というわけで、国道8号線を彦根方面に移動。途中、左折して新幹線の高架をくぐって表参道の方へ進んでいきます。
この付近は、繖山の全景を見ることができます。この山全体が巨大な城郭だったとはにわかに信じがたいほどの巨大さです。
表参道登り口の交差点付近には、石寺楽市会館があり、ここで「日本100名城スタンプ」を押すことができます。休日は開いていないことがあると聞いていましたが、ちゃんと営業していました。
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2.駐車場から観音正寺へ |
観音正寺駐車場 |
駐車場にある観音正寺の碑 |
参道脇にあった石垣の遺構 |
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石寺楽市会館のある交差点をまっすぐ進めば表参道で、観音正寺まで最短で登っていくことができます。この道は、安土城の大手道を思わせるような道で、山腹まで直線的に一気に登っていくことができるようです。
しかし、今回は、八合目まで車で移動しますので、迂回して林道へ入りました。林道の入り口にはゲートがあり、500円の整備協力金を支払って登ることになります。ただし、この林道は冬期には閉鎖となるそうですので、注意が必要です。
車で登ることができる終点には、5台程度の駐車スペースがあり、そこからは徒歩で登ることになります。
駐車場に来た段階で、すでに八合目ですが、ここから観音正寺までも結構大変な登り道です。昔の人は何と健脚だったのだろうかと感心してしまいます。さらに、城攻めの際は、鎧を着て武器を持っていたはずですから、ただ登るだけでもすごく疲れたにちがいありません。
表参道脇に、さっそく石垣の遺構を確認することができます。観音寺城があったここ繖山は、山全体にこのような石垣や土塁の遺構があって、観音寺城の規模の大きさに圧倒されます。
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3.観音正寺 |
観音正寺入口 |
北向地蔵尊 |
近江盆地の眺め |
本堂 |
本堂脇の石組 |
観音寺城跡へ |
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かなりの登りの末、やっと観音正寺の到着します。
観音正寺の山号は繖山(きぬがさやま)。西国三十三ヵ所観音霊場、第三十二番札所。本堂には、人魚のミイラと考えられていた寺宝があったそうですが、平成5年(1993)に本堂が火災にあい、本尊とともに焼失してしまったそうです。しかし、現在はその本堂も再建されています。本堂脇の石組がすごいです。
観音寺城の本丸へはここからさらに先に進まなければなりません。
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4.観音寺城跡へ向かう |
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観音寺城の本丸へ向かう道は、一段と険しくなります。ただ、その奥に忽然と人工物が残されているのです。とても不思議な空間です。
途中には分かれ道もあり、若干迷います。本丸方面へと向かう前に、それらの分かれ道に迷いこめば、小さめの郭が数珠つなぎで続いている場所にしばしば行き着きます。これらの郭は、それぞれに平井丸、池田丸など家臣たちの名を冠しているらしいのですが、どこがどの郭なのかまったく見当がつきません。これらの郭やすべての遺構をひとつひとつ確認しようとすれば、一体どれだけの時間がかかるのかと考えさせられます。
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5.本丸跡 |
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山奥に忽然と姿を現す巨大な石垣は、本丸への登り道です。この石段の遺構がまた圧巻。両脇には側溝が整備されています。安土城の大手道にも同じような遺構がありますが、こちらの方が時代は先になります。 |
登りきったところが本丸 |
本城跡の碑 |
周囲を囲む盛り土 |
本丸斜面の石垣 |
本丸にあった遺構 |
朽ちかけの石塁 |
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石段を登り切ると広い平坦地が現れます。ここが本丸です。「本城跡」の碑がたっています。ただ、ここでも山頂ではなく、本丸はさらに登って行った先にあったのだという話も聞きます。なんでもその道はよく知られていないのだそうです。
この本城跡は往時にどのような建物が建っていたのか未だにわかっていません。建物の礎石の位置も判然としないそうです。周囲は土塁か石塁か分かりませんが、盛り土で囲まれているのが分かります。また、奥の方にはくぼ地があり、周囲を石で固めた遺構があります。これも井戸跡なのでしょうか。
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食い違い虎口 |
大夫井戸伝承地 |
今でも水をたたえている |
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登ってきた石段の反対側には、「食い違い虎口」があります。本丸の搦手(裏門)ですが、その遺構はこの付近では最も状態が良いです。そこを通って、本丸の反対側から出ると、桑実寺(くわのみでら)を経て、表参道と反対側、織田信長の居城で有名な安土山方面へ下りていくことができます。ただ、今回は車に戻らなければならないので、残念ながらここで引き返すことになりました。
なお、この付近の脇道には、洞穴のような遺構がみられます。近づいてみると「井戸跡(大夫井戸伝承地)」と案内があるのに気づきます。中をのぞいてみると今でも水をたたえているのがわかります。
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2009.03.15訪問
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