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第13話 小諸城
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小諸城三の門
日本100名城スタンプ設置場所
懐古園事務所
現在の小諸城跡である「懐古園」の正門ともいうべき門、三の門を内側から撮影したデザインとなっています。
■探訪記(2009.05.02)
 所在地 : 長野県小諸市丁311懐古園

 小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ
    緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし
       しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る




 小諸は上田の隣町です。浅間山の南麓を抜けると軽井沢。碓氷峠をぬけると関東へとつながる交通の要所です。

 また、小諸は島崎藤村ゆかりの地です。藤村は、明治32年(1899)4月、小諸義塾に英語国語の教師として赴任しました。その時、結婚もしています。その翌年、「旅情」(小諸なる古城のほとり)を雑誌「明星」創刊号に発表しました。

 藤村の小諸での生活は7年間続き、その後上京。上京の翌年3月に代表作、「破戒」を発表しました。

 現在の小諸城跡は懐古園と呼ばれていますが、その一角に「小諸市立藤村記念館」があります。

大手門

大手門正面

大手門内部

小諸城縄張図

 懐古園の駐車場に車を停め、いざ小諸城へ。その前にわざわざ大手門へと向かう。この大手門、東日本では珍しく現存する大手門で、なかなかのもの。さすがは国指定重要文化財。往時はここから小諸城内だったということです。現在は大手門周辺だけが小諸城跡の飛地のようになっています。

 内部は、若干の資料が展示してありますが、やはり注目すべきは小諸城の摩訶不思議な縄張り。大手門内に展示されていた資料で確認できました。扇状地にできた段切地形をうまく利用したお城です。その自然にできた谷間が空掘となって各郭を隔て、天然の要害となっています。

 さすがは全国的にも珍しい穴城。私も全国さまざまなお城をこの目で確かめてきましたが、小諸城はその中でも屈指の難攻不落のお城といっていいと思います。

 不思議なのはそれだけではありません。「穴城」の名の通り、大手門をくぐり、現在の小諸城(懐古園)の正門ともいうべき三の門へ向かうと、駅前を抜けて徐々に下っているのが分かります。さらに三の門は低い位置にあり、何とも不思議な感じがします。本当にこの先にお城があるのかと錯覚するほどでした。


いよいよ小諸城跡へ

三の門(表側)

三の門(裏側)

小諸義塾記念館

 小諸城の入口門は現在ではこの三の門となっています。表側には徳川家達(とくがわいえさと)の揮毫による「懐古園」の文字があります。「書」の造詣はありませんが、素人目に見てもかなりの達筆のような感じです。というかその個性的な字体がひときわ目を引くというべきなのでしょうか。ちなみにこの現存する堂々とした門は寛保2年(1765)の再建。国指定重要文化財です。

 一方、裏側は日本100名城のスタンプのデザインとなっています。とにかく、この門は裏表どちらから見てもなかなかのもの。ちなみに日本100名城スタンプは、この三の門脇にある懐古園事務所で押すことができます。

 ちなみに、小諸義塾記念館(有料)は、島崎藤村が7年間国語と英語の教師として在任した小諸義塾にちなんだ建物です。この三の門のそばにありますが、三の門からは一段高い位置にあります。


二の門付近

二の門跡

木村熊二レリーフ

若山牧水歌碑

 三の門からしばらく歩くと「番所跡」があります。その先が二の門です。小諸城の門の数え方は本丸側から一の門、二の門と続いているようです。ふつうは逆に大手門を一の門と称しているところが多い気がします。さらに、穴城らしく下っているところがおもしろいです。

 さて、この二の門付近、石垣には木村熊二のレリーフがあります。この人は小諸義塾の塾長だった人で、小諸の地域発展に尽くした先人先達ということになります。「われらの父木村熊二先生と旧小諸義塾の記念に、門弟並有志 島崎藤村書 昭和11年」と刻まれています。しかし、松本市にある開智学校もそうですが、長野県は近代教育の草分け的な足跡が多く残されている気がします。教育に熱心な県だったのでしょうかね。

 さらに歌人、若山牧水の歌碑がありました。「かたはらに 秋草の花 かたるらく ほろびしものは なつかしきかな」とあります。ちなみに、本丸奥にも高浜虚子や臼田亜波の句碑等があります。

 また、二の門付近にあった二の丸は徳川秀忠が真田昌幸、幸村父子と対戦した第二次上田合戦の時に逗留したところです。ここに本陣を置いて上田城を攻略しようとしましたが、失敗。さらに西進しますが、そのせいであの関ヶ原の戦いに遅参するという大失態を演じたことは有名です。


本丸周辺

黒門橋

深い谷を空掘として利用

黒門跡

 ここは小諸城の本丸入口といってもよい橋です。別名をそろばん橋というそうですが、緊急の時は橋げたをとりはずすことができるようになっていました。もちろん、防御のためです。この橋の下は深い谷となっています。このように、小諸城の本丸は地獄谷、紅葉谷といった深い天然の谷をそのまま空堀として利用しているのです。


懐古神社

鏡石

藤村記念館

 本丸は懐古神社という社殿が建っていました。この付近にある懐古園の碑は明治14年(1881)に懐古園が造られた時の記念碑で、あの勝海舟の筆によるものだそうです。

 本丸の一角にある不思議な石(写真中央)を「鏡石」とよびます。傍らの説明板には「山本勘助が愛用したものと伝わる」とありました。山本勘助とはもちろん、小諸城の縄張りを担当したと伝えられるあの武田信玄の軍師です。本当でしょうか?

 本丸の奥にはかなり広い広場があり、たくさんの桜が植えられていました。広場は特に細長い形をしており、馬場として使われていたそうです。なるほど馬を走らせるにはよさそうな広さと形をしています。このような馬場は山城などにはあまり見られませんが、平城や平山城などにはたまに見られる遺構です。肥前名護屋城跡にあった馬場はかなりの規模があったのを思い出します。

 さらに本丸の周りに目を向けると、天守台やそれに付随する石垣群が目を引きます。さらに、平屋建ての藤村記念館があるのです。入口付近には島崎藤村の胸像があります。藤村ゆかりの品々が展示されているとの事だったのですが、別料金だったことと藤村にいまひとつ興味を持っていなかった自分は一応遠慮しておきました。


天守台

 かつては三層の天守閣が建っていたそうですが、寛永3年(1626)に落雷で焼失してからは徳川の政策で再建されたかったということです。しかし、やはり天守台だけが残されているのはさみしいです。お城の顔ともいうべき、天守閣はやはりあって欲しいものです。

 天守台の方に目をやると、野面積みの石垣が実に見事です。ずいぶん前に積まれていたのでしょうか一部の石垣は膨れていて湾曲していました。とはいえ、崩れそうな感じは受けません。かなり頑丈につくられていたのでしょう。ちなみに、天守台上には登れるようになっていますが柵もなく危険です。


小諸城址から千曲川を望む

 これが城下町より低い位置に縄張りされた穴城、小諸城から撮影されたとはにわかに信じがたい景色です。小諸城は実は城下町と反対側は、このように眼下に千曲川が広がる絶壁になっています。犬山城や岡山城などに見られるいわゆる後堅固の城なのです。ここに、小諸城のもう一つの姿があります。

 小諸城は確かに城下町より低い位置にあり、大手門、三の門、二の門跡とお城の中枢部に向かうにつれて下っていっています。そしてそのつきあたりにこのような見晴らしの良い景色が広がるのです。この一角は富士見台と呼ばれるところがあって、晴れた日ははるかかなたに富士山がみえるとのことでした。実際に、その富士見台からその方向を見ると、うっすらと実際に富士山が見えました。穴城から富士山を見るとは実に不思議な感覚にさせられます。


酔月橋
別名の「酔月城」にちなむ

紅葉谷
他に「地獄谷」という空堀もある

富士見台
晴れた日は富士山が望める

 小諸城の本丸は浅間山の噴火堆積土の上に位置しており、土壌自体はもろいつくりになっています。そのため、長い年月をかけて流水が侵食して形成された深い谷が刻まれています。小諸城は、その谷をうまく縄張りに組み入れ、そのまま空堀として利用しているのです。その深さといったら、並みのお城の堀の深さをはるかにしのぎます。おそらく、この空堀から攻城する際に登ることは不可能といってよいでしょう。それほど、険しい谷で郭が隔てられているのです。


小諸市動物園

 現在「懐古園」と呼ばれている小諸城址にある動物園です。エミュー、ライオン、ツキノワグマ、ニホンザルなどさまざまな動物が飼育されています。園内は傾斜になっていて、手前から奥に行くにつれて下ることになります。

 この小諸市動物園は長野県下で最古というばかりではなく、大正15年(1926)開園ということで日本屈指の歴史を持つ古い動物園なのだそうです。

 さらに遊園地もあります。懐古園という名の小諸城は、文学者島崎藤村に興味があるような文学好きの人だけでなく、私のようなお城めぐりファン、さらには子どもたちにも魅力的なアミューズメント施設なのです。


2009.05.02訪問

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