写真で見る日本の歴史
 トップページテーマ日本100名城探訪記松前城 第3番 松前城
第33話 松前城
<<前に戻る 次に進む>>日本100名城トップ 

松前城天守
日本100名城スタンプ設置場所
松前城資料館内
スタンプのデザインは北側から天守を写した姿です。南側からも同様な形で撮影できるばかりでなく、昼間は順光になるので間違えやすいですが、初層部分の入口の有無で区別できます。南側からだと入口がなく、また、門と塀でつながっているので違うことが分かります。

■探訪記(2010.05.01)
 所在地 : 北海道松前郡松前町字松城144



 公共の交通機関で松前城へ行くにはかなり不便です。今回は、青函トンネルを経由して北海道入りした後、JR北の玄関口、木古内駅で下車、数少ない駅前のホテルで宿泊した後、朝から約2時間かけてバス(函館バス)で移動しました。ただ、北海道唯一の城下町。必見であることは間違いありません。ここにも、以前は木古内〜松前を結ぶ全長50.8キロのJRローカル線が通っていたそうですが、昭和63年(1988)に廃止されました。

 なかなかの長旅ですが、途中には北海道最南端の岬である白神岬の景観や、千代の富士、千代の山という二人の横綱を輩出した町であり、青函トンネルの吉岡海底駅がある福島町など、見どころとなる場所が点在します。余談ですが千代の富士をこよなく尊敬する私は、この松前城制覇の後、帰路は福島町に途中下車しました。


松前城縄張模型

 上が松前城の模型です。これでもわかるように海側に堅固な造りになっています。その代わり、山側への備えはあまり重視されていない縄張りになっています。この北側には寺町があり、往時は15ヶ寺ものお寺がひしめいていて、同時に防御の役割もさせていたそうです。しかし、そこは戊辰戦争における最後の戦い、函館戦争で土方歳三が率いる旧幕府軍に攻め入られ、わずか700の兵力だったにもかかわらず、松前城は陥落してしまいました。これら弱い山側からの攻城に耐えかねてのことでした。


いざ松前城へ

城下町

天神坂

天神坂門

搦手二ノ門1

松前城模型

搦手二ノ門2

 搦め手、つまりお城の裏口門からの登城となりました。軽く城下町でも散策を・・・と思っていたら、この天神坂という搦め手に通じる上り口を発見したからです。ここを上っていくと天神坂門、そして台場、すなわち砲台が立ち並んでいた曲郭を経て搦手二ノ門という割と大きな城門に出ます。その先が、松前城の中枢になるのです。ちなみに、この搦手二ノ門付近に先に紹介した松前城の模型があります。

 この門付近の石垣に限らず、松前城全体の石垣は切り込みハギや亀甲積みとよばれる特徴的な石積み法をしています。これも見逃さないようにした方がいいと思います。さらに戊辰戦争の時の弾痕が無数に残っているということです。私はそのようなことは露知らず、見逃してしまいましたが、切り込みハギの美しい石垣は偶然にも撮影しておりました。後で紹介します。


武田信玄の遠い親戚

史蹟松前城

資料館入口門

長者丸幟と四つ割菱

 松前城資料館の入口にあった家紋。覚えあり。というよりも最も有名な家紋のひとつです。「四つ割菱」、別名「武田菱」。そうです。武田信玄で名高い武田氏と同様の家紋をしているのです。この武田菱は武田の「田」の字を図案化したもので、それゆえ武田氏の家紋であることはかなり有名なのです。

 では、なぜこの北の大地、北海道のお城にかの「武田菱」があるのか。

 調べてみると、松前城の城主松前氏は、元は若狭武田氏だったということがわかりました。若狭武田氏は、安芸武田氏などと同様に、武田信玄で名高い甲斐武田氏と同族。ともに清和源氏である、新羅三郎義光(源義光)をルーツとする家系だったのです。ということは、松前氏と武田信玄は遠い親戚筋にあたります。なるほどそれだったら納得です。とはいえ、このようなところで武田信玄の家紋を見られるとは少々驚きました。

 ちなみに、この資料館内で「日本100名城スタンプ」ゲット。一安心です。スタンプゲットが目的ではないですが、はるばると京都から来たからには絶対に手に入れなければならないものだったのでよかったです。


天守および本丸御門

天守および本丸御門

松前城の最も有名なポイントのひとつです



本丸御門(内側から)

本丸御門石垣

本丸御門正面

 明治元年(1868)の戊辰戦争や、明治8年(1875)の取り壊しを免れて、天守と本丸御門および東塀が昭和まで残っていました。しかし、昭和24年(1949)に本丸御殿以外の建物は、焼失の憂き目にあいました。しかし、この本丸御門だけは現存し、国の重要文化財に指定されています。注目すべきは、石垣の見事さだと思います。見事な切り込みハギ積みです。


天守

本丸から海側を望む

本丸表御殿玄関

 天守は三重櫓としても認知されている建物ですが、実質的な天守閣といってよいでしょう。しかし、破風もなく、全体的に単調な印象は受けてしまいます。それでも何となく華やかに見えるのは屋根にのっかっている鯱が金色だからでしょうか。この建物は昭和24年(1949)の焼失後に再建されたものです。天守に続く本丸御門東塀石垣は、天守台石垣と明らかに石積み方が違います。天守台が切り込みハギ積みなのに対し、珍しく亀甲積みで積まれています。

 本丸から海側を望むと、実はこの城が平山城だということが分かります。この松前城がある小山を「福山」というので、松前城はもとは福山城(館造りだったので「福山館」とも)とよばれていました。福山城といえば、同じ日本100名城にも指定されている同名の「福山城」(広島県福山市)もあり、少々「ややこしや〜」です。

 なお、これら天守から本丸表門までの一連の建物に圧倒され、見落としがちですが、脇には本丸表御殿玄関があります。この建物は案内板によると京都の伏見城(現存せず)にあった建材をつかっているといわれているそうです。全国にとにかく伏見城からの移築が多いのはなぜなのでしょうか。

 閑話休題。この玄関は、昭和57年(1982)まで松城小学校の玄関として使用されていたそうです。この建物も破却や焼失をまぬかれて現存していますが、文化財指定は国ではなく北海道の有形指定ということになっています。


本丸表御殿付近と桜

内堀

本丸表御殿跡

まだ桜はつぼみの状態

 「内堀」と表記されている天守北側にある堀は、どちらかというと東郭と本丸とを隔てるためだけに備えられてあるもので、ぐるっと城全体を囲っているようないわゆる「堀」とは違うように思います。堀の形状からは、掛川城などいくつかのお城にある「そろばん堀」のようです。

 さて、天守北側の現在広場になっているところには、本丸表御殿が建っていたといいます。かなり広いので、表御殿自体もかなりの規模だったことと思います。しかし、これまで何度も書いてあるように、天守より北側は現在の松前城をみても弱い構造になっていることがよくわかります。この本丸表御殿跡地から奥は、単調な縄張りをしているのです。さすが、海上からの攻撃や上陸を想定して築かれたお城であるだけのことはあります。ただ、戊辰戦争の時は、土方歳三率いる旧幕府軍にその北側から衝かれてしまうという失態がありました。松前城は、わずかな軍勢によって簡単に陥落してしまったのです。

 二日前に弘前城を訪問した際には、桜が「まもなく満開」という状況だったですが、津軽海峡を渡るだけでこのありさま。桜前線はまだまだ津軽海峡を越えていませんでした。西日本がすでに新緑の季節であるにも関わらず、桜でさえつぼみの状態に不思議な感覚を覚えてしまいました。ただ、この松前城も桜の名所としては名高いようです。現地の人たちが、おそらく数日後に控えた桜祭りらしきイベントのための準備をおこなっていました。


松前城北側 〜寺町界隈〜

法源寺山門

法憧寺

松前家墓所入口

松前家墓所

北鴎碑林

金子鴎亭

 松前城の北に位置する寺町。このなかでもひときわ目をひく立派な建物が法源寺山門です。国指定重要文化財。さすが。

 そしてその奥。法憧寺。ここは松前家墓所があるお寺です。具に見てみたかったのですが実は帰りのバスの時間が気になりだしてきました。そんなに何本もバスが通っているわけがなく、帰りのバスの時間を読みながらの訪問です。さらにその先には、松前藩屋敷があり、往時の松前の城下町を再現したテーマパークがあったのでどうしても行きたかったのです。時間との戦いです。「北鴎碑林」なる地元出身の書の大家を記念したところもありましたが、ゆっくり見ている暇もなくほとんど素通り。まぁ、もとより書道にはあまり興味はありませんが・・・。


松前藩屋敷

武家屋敷

松前藩沖之口奉行所1

松前藩沖之口奉行所2

商家(近江屋)1

商家(近江屋)2

旅籠(越後屋)

髪結床1

髪結床2

漁家1

漁家2

自身番小屋

廻船問屋(敦賀屋)

 松前藩屋敷。戊辰戦争における最後の戦い、函館戦争の時にその3分の2を焼失してしまったといわれている松前城の城下町です。さながらタイムスリップした感覚を受けます。建物の中には人形もあり、臨場感が増します。ゆっくり見ていきたかったのですが、バスの時間が迫る!写真だけバシバシ撮ってから早々に退散。何しに行ったのやら・・・。

 松城バス停まではかなりの距離。最後は全力疾走になりました。そのうえ、またバスに揺られての長旅が待っています!「トイレ!!」

 このようなところで、簡単にコンビニが見つかるはずもなく、城下町をまたうろうろ。そういえば、搦手に続く天神坂口付近に公衆トイレがあったことを思い出してダッシュ。なんとか間に合ってバスにも滑り込みセーフ。予定通り福島町の「横綱千代の山・千代の富士記念館」に行くことができたのでした。


京都太秦の映画村みたいです!


2010.05.01訪問

第32話 弘前城 第34話 五稜郭

100名城トップ
日本百名城[DVD]
日本百名城[DVD]
日本の名城をつくる
日本の名城をつくる

100名城トップ
copyright (C) 社会科ちゃん