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■探訪記(2010.05.02) |
所在地 : 北海道函館市五稜郭町
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日本にある数少ないヨーロッパの稜堡式とよばれる築城法で築かれたお城です。日米和親条約によって開港した箱館(函館)の防備という名目で築かれました。戊辰戦争における箱館戦争で、榎本武揚や土方歳三が最後の抵抗をしたところでもあります。
着工は安政4年(1857)4月。日米和親条約によって函館が開港されたことにより、函館の新たな防備の拠点としてつくられ、元治元年(1864)に完成しました。中には幕府の役所がおかれていましたが、その後、大政奉還により江戸幕府は終焉。
ところが明治元年(1868)、8隻の軍艦とともに榎本武揚率いる旧幕府脱走軍がこの地を占領。新政府軍と戦いを繰り広げました。占領後わずか7カ月で戦いは終結し、新しい時代の幕があけました。五稜郭も大正3年(1910)年以降、公園として市民に開放されています。
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土方歳三最期の地 |
若松緑地(土方歳三最期の地) |
一本木関門 |
土方歳三最期之地碑 |
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函館の市街地からは市電で移動するのが便利だと思います。なにせ、結構離れています。また、JRの駅で五稜郭駅というのがありますが、そこからも結構距離がありそうです。
私の場合は、函館の朝市を覗いた後、「土方歳三の最期の地」に立ち寄りたいと思っていたので、函館の街を歩きつつ五稜郭に向かいました。この土方歳三最期の地である「若松緑地」からはかなり距離があります。大体五稜郭から南西に2.5キロといったところでしょうか。時間も十分にかかりました。たまたま一人だったからできたのだと思います。誰かと一緒だったら確実に歩かなかったと思います。
土方歳三は新選組の副長、鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争に旧幕府軍として戦い、甲州勝沼、会津などを転戦した後、最後の戦いである函館戦争にも参加しました。最後は戦死するのですが、その終焉の地となった場所は公園となっており、小さな塚がありました。
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>>土方歳三の最期の地(若松緑地) |
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五稜郭公園内を散策 |
五稜郭タワー |
はねだし石垣 |
土塁上へ登ってみる |
冠木門付近 |
五稜郭公園管理事務所 |
五稜郭タワー(土塁上から) |
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五稜郭タワーには上らず、先ずは五稜郭公園内を散策することにしました。一旦、タワーに登ろうとしたのですが、すでに多くの人出とがあったからやめにしたのです。しかし、よく考えてみれば少しでも早い時間帯の方が混まないはずなので、失敗したなぁと後で気づきました。
ところが、公園内はさほど見どころがありません。桜がたくさん植えてあるのですが、まだほとんどつぼみの状態でした。なので、桜を愛でることもできません。五稜郭はその形が特徴的なのであって、それを確認するのはやはり鳥の視点、つまりタワーに登らないとできないのだと実感しました。
ただ、一方で近づいてみないとわからない土塁や石垣の様子を知ることができます。入口付近の石垣は最上部が突き出たいわゆる「はね出し石垣」になっています。全国的にも珍しいものです。熊本県にある人吉城で同様の遺構が見られるくらいしか私は知りません。
五稜郭公園の管理事務所が中にありますが、なんとプレハブ建物でびっくり。ともかく、ここで「日本100名城スタンプ」をゲット。ところが、五稜郭タワー内でもスタンプをゲットすることができることを知りました。でも、ここの係りの人は親切にスタンプを出してくれました。
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復元された函館奉行所建物 |
復元された函館奉行所の建物です。大政奉還の後は箱館裁判所・箱館府の庁舎として使用れていましたが、その後、榎本武揚率いる旧幕府軍に占領されました。この函館戦争中も戦火はまぬかれましたが、新政府によって解体されました。
中はまだ工事が進んでいるようで、入るどころか近づくことすらできません。工事関係者しか入ることができないような金網に阻まれ、遠くからその姿を確認することしかできませんでした。
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あと、「武田斐三郎先生顕彰碑」なるのものがありました。武田斐三郎先生とは、五稜郭を設計した人物です。緒方洪庵の適塾で蘭学を、佐久間象山から様式兵術を師事しました。名前(「武田」、甲斐の「斐」)からして甲州の出身かなと思ったら、愛媛大洲の出身だということが分かりました。ただ、元々は甲斐武田氏の出なのだそうです。
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それから、公園内を散策。ほとんどつぼみ状態の桜を見ながら、満開のころはきれいなんだろうなと想像してしまいます。それでも五稜郭の規模の大きさや、直線的な稜堡式の縄張りの様子が垣間見られて、退屈はしませんでした。
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五稜郭タワー |
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五稜郭の全景を知るには、タワーに登るのが一番。100名城スタンプも高いところから五稜郭を眺めたデザインだったので、これと同じアングルで撮影せねばと期待しながら上ったのですが、残念ながら先に紹介したとおり、タワーの上からでも同様のアングルで撮影することはできませんでした 。
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100名城スタンプと同じアングル |
ただ、代わりに展示してあった模型でスタンプの図柄と同様の形で撮影することに成功。一応紹介しておきます。
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さらに、展望フロアには土方歳三の座像が展示されていました。函館戦争の主役は、榎本武揚でも武田斐三郎でもなく、この土方歳三なのです。実際の写真に残されている姿の通り、洋装の土を再現しています。
高さが107mもあるだけあって、眺めは最高です。夜景スポットで有名な函館山や新政府軍が上陸したと思われる函館湾の眺めが一望できます。その先に見えるのは、前日までいた福島や松前、木古内付近だと思います。
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五稜郭タワー1Fにある土方歳三像 |
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さらに、タワー1Fにも見どころが多数あります。ここにも土方歳三の像があるのです。函館は土方歳三が大好きなようです。展望階にあったものと違い、ここにあるのは立像です。展望階にある座像およびここにある立像ともに函館市出身の彫刻家、小寺眞知子氏によって造られました。
また、函館戦争の総大将、榎本武揚や五稜郭の設計者、武田斐三郎の像もあります。
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2010.05.02訪問
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