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0521大石内蔵助
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【 大石内蔵助 】
Oishi-Kuranosuke
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@大石神社(兵庫県赤穂市)
大石内蔵助 データ
生没年 1659〜1703.3.20
生誕地
名前 喜内  大石良雄 藤原良雄 大石内蔵助
人物伝

「赤穂藩家老」1659〜1703.3.20
父 大石良昭(大石權内)

 伊藤仁斎より軍学を、山鹿素行より儒学を学びました。貞享5年(1687)豊岡藩京極家筆頭家老、石束源五衛右衛門の娘、りくと結婚しました。元禄元年(1688)に長男松之丞、元禄3年(1690)に長女くう、元禄4年(1691)に次男吉之進が生まれました。長男の松之丞は、後の大石主税で、赤穂義士の一人になります。
 彼が家老をつとめる赤穂藩の藩主、浅野内匠頭(浅野長矩)が江戸城の松の廊下で吉良上野介に斬りつる事件がおこりました。この事件によって、赤穂浅野家の断絶が決まりました。こうして、内蔵助は浪人となりましたが、その後も、幕府に内匠頭の弟である浅野大学を立てて浅野家最興と刃傷事件の当事者の吉良上野介の処分を求め続けました。その望みが絶たれると主君の敵を討つため、吉良邸に討ち入って仇を討つことを決定しました。吉良邸討ち入りは成功し、見事主君の仇を討ちましたが、その翌年、幕府の命によって切腹しました。

辞世の句 「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
  
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