昭和20年(1945)8月9日の原爆の際、爆心地に平行に立っていたため、二の鳥居の一部とともに、倒壊を免れていましたが、昭和37年(1962)に交通事故により、倒壊し、被爆遺構であったにもかかわらず、それに対する当時の関心は薄かったため、撤去されてしまいました。このように土台部分だけは左右残されています。 |
説明板(山王神社二の鳥居の吹き飛ばされた左半分)とあります。一本柱鳥居の脇の参道にこの倒壊した残骸は残されており、説明板とともに当時の爆風の凄まじさを垣間見ることができるようになっています。 |
説明板「ここに横たわるのは、1924(大正13)年に建立された山王神社二の鳥居の、吹き飛ばされた左半分です。一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945(昭和20)年8月9日の原爆投下により、爆風に対して平行に立っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとは倒壊しました。一の鳥居はほぼ原形のまま、また、二の鳥居は、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの、奇跡的に右半分だけ残りました。しかし、戦後、一の鳥居は交通事故により倒壊したため、現在も当時のままの姿で立っているのは、この二の鳥居だけになりました。」 |