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長崎県の歴史シリーズ

一本柱鳥居
| 後
所在地
長崎県長崎市坂本2丁目6-56
交 通
JR浦上駅下車または長崎電鉄大学病院前電停下車
歴 史
長崎市坂本町にある山王神社。1945(昭和20)年8月9日の原爆投下により、爆風に対して平行に立っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとは倒壊しました。一の鳥居はほぼ原形のまま、また、二の鳥居は、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの、奇跡的に右半分だけ残りました。
一本柱鳥居(山王神社二の鳥居)
一の鳥居(土台部分) 二の鳥居(説明板) 倒壊した二の鳥居の残骸
昭和20年(1945)8月9日の原爆の際、爆心地に平行に立っていたため、二の鳥居の一部とともに、倒壊を免れていましたが、昭和37年(1962)に交通事故により、倒壊し、被爆遺構であったにもかかわらず、それに対する当時の関心は薄かったため、撤去されてしまいました。このように土台部分だけは左右残されています。 説明板(山王神社二の鳥居の吹き飛ばされた左半分)とあります。一本柱鳥居の脇の参道にこの倒壊した残骸は残されており、説明板とともに当時の爆風の凄まじさを垣間見ることができるようになっています。 説明板「ここに横たわるのは、1924(大正13)年に建立された山王神社二の鳥居の、吹き飛ばされた左半分です。一の鳥居から四の鳥居までありましたが、1945(昭和20)年8月9日の原爆投下により、爆風に対して平行に立っていた一の鳥居と二の鳥居を残し、あとは倒壊しました。一の鳥居はほぼ原形のまま、また、二の鳥居は、爆心側の左半分が吹き飛ばされたものの、奇跡的に右半分だけ残りました。しかし、戦後、一の鳥居は交通事故により倒壊したため、現在も当時のままの姿で立っているのは、この二の鳥居だけになりました。」
二の鳥居(土台)
二の鳥居(柱)
二の鳥居(扁額)
ここに立って、倒壊を免れた右半分をみると、爆風によって角度が変わったのが分かります。 倒壊した二の鳥居の右半分を支えていた柱です。 「皇大神宮」と書かれてありましたが、一部破損しています。
     

山王神社(長崎市)と大クス  
■山王神社(長崎市)由緒
寛永15年(1638)、島原の乱の鎮圧を終えた松平伊豆守信網が、帰還途中にこの地を通りました。その時、近江比叡山の麓、坂本に景観が似ており、さらに地名も同じことから、坂本にある日吉大社から日吉権現を観請してはどうかということで、ここに神社が造られたのが始まりとされています。原子爆弾の被害にあった神社としても有名で、一本柱鳥居や被爆した大クスなど見どころも多いです。

山王神社の大クス
境内入口の両端に一本ずつ大きなクスノキが根をおろしています。原爆が投下された時、この二本の大クスも幹に大きな亀裂ができ、枝葉は吹き飛んでしまいました。また、熱風で木は焼け、到底生き返ることはないほどでしたが、その後奇跡的に蘇りました。

被爆直後の大クス
二の鳥居(一本柱鳥居)越しの大クス
0416如己堂 0418唐人屋敷跡
(C)社会科ちゃん