写真で見る日本の歴史
 トップページシリーズ長崎県の歴史如己堂 0416如己堂
長崎県の歴史シリーズ

如己堂
所在地
長崎県長崎市上野町22-6
交 通
JR浦上駅下車または長崎電鉄大橋電停下車
歴 史
昭和20年(1945)8月9日午前11時02分、長崎に投下された原子爆弾で被爆した、当時長崎医科大学の助教授だった永井隆博士の住まい。「如己堂」と名付けられた二畳敷のこの住まいで、白血病でなくなるまで原爆に関わる医学的研究と反戦平和を訴える多くの著作をのこしました。
如己堂
入口 道路側からの如己堂 内部
如己堂の入口。如己堂は、病床にあった永井隆博士のため、昭和23年(1948)に近隣の人たちが博士に贈った小さな家です。この家で昭和26年(1951)5月1日に亡くなるまで二人の子供と共に過ごしました。聖書の「己の如く人を愛せよ」の言葉から、「如己堂」と名づけられました。 二畳一間の小さな家。家を建ててくれた人の心を忘れず自分もこの愛に生きようとする心から「如己堂」と名付けられました。昭和23年(1948)春完成。 部屋の中は正面の窓からのぞくことができます。正面に永井隆博士のデスマスク。脇に聖母マリア像。畳2畳分の部屋は3人が暮らすには大変狭いのが分かります。

永井隆博士  
■明治41年(1908)2月3日 - 昭和26年5月1日
医学博士。島根県松江市生まれ、長崎医科大学(長崎大学医学部)を経て、昭和12年(1937)に同じく長崎医科大学の講師に就任。昭和19年(1944)に博士号取得。翌年の昭和20年(1945)6月に放射線研究による被曝で白血病と診断される。

昭和20年8月9日
長崎に原子爆弾が投下される。長崎医科大学の診察室で被爆。自身も重傷を負うが、救護活動にあたる。

昭和23年(1948)3月、「如己堂」に移り住む。以降、多くの著作を残す。
永井隆の著作を検索

長崎永井隆記念館
■所在地  〒852-8113 長崎市上野町22-6 (如己堂に隣接)
■開館時間  9:00〜17:00
■休館日  12月29日〜1月3日
■展示室観覧料
個人(15歳以上)100円
団体(15人以上)80円
小中高生、2階図書室の利用は無料

永井隆博士がつくった子どもたちのための読書室「うちらの本箱」が前身です。博士の死後、その遺志を継ぎ、ブラジル在留邦人の寄付金と長崎市費で昭和27年(1952)12月25日に永井図書館が建設されました。その後、昭和47年(1972)4月の「永井記念館」発足を経て、平成12年(2000)4月に、「長崎永井隆記念館」となり、現在に至っています。1Fが展示室、2Fが図書館となっています。
0415旧大野木場小学校 0417一本柱鳥居
(C)社会科ちゃん