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 トップページシリーズ教科書に出てくるお寺醍醐寺 0231醍醐寺
教科書に出てくるお寺

深雪山
醍醐寺
データ
所 在 地 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
山  号 深雪山
正 式 名
別  名
宗  派 真言宗醍醐派総本山
創  建 貞観16年(874)
開  基
開  山 聖宝(理源大師)
本  尊 薬師如来
おもな文化財
(建造物)
【国宝】建造物
金堂、五重塔ほか
そ の 他 世界文化遺産(古都京都の文化財)
拝観案内
拝観料 三宝院・伽藍・霊宝館がそれぞれ有料各600円
拝観時間 9:00〜17:00
(11〜2月は9:00〜16:00)
交  通 京都市営地下鉄東西線醍醐駅下車
崇福寺|廬山寺


年表
西 暦 元 号 出来事
874 貞観16年 聖宝(理源大師)が醍醐山を開く。
897 元慶元年 醍醐天皇が即位。その庇護によって醍醐寺が大いに栄える。
1598 慶長3年 豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われる。
1939 昭和14年 上醍醐を襲った山火事で経蔵、清滝宮本殿などを焼失
2008 平成20年 上醍醐の准胝堂が焼失
境内紹介

 醍醐寺はふもとの「下醍醐」と山上の「上醍醐」に分かれています。下醍醐が現在の醍醐寺のメインで、上醍醐へ行くには険しい山道を一時間以上登っていかないといけません。山上の上醍醐には、「醍醐味」でしられる「醍醐水」のほか、国宝の薬師堂や清滝宮拝殿などがあります。

下醍醐
金堂 五重塔
慶長5年(1600)に豊臣秀吉の子、秀頼によって仁王門とともに紀州(和歌山県)の湯浅満願寺から移築されました。本尊の薬師如来像とともに、日光、月光菩薩像、四天王像が安置されています。
五重塔は唯一創建時から残されている建物です。醍醐天皇の冥福を祈るため、朱雀天皇によって建立されました。平安時代の天暦6年(952)の創建です。応仁の乱などの度重なる兵火にも耐え、現在に至っています。現在は多くの伽藍がある醍醐寺ですが、この五重塔のみしかなかった時期もあったそうです。本尊は、平安時代作の国宝、両界曼荼羅です。

総門 仁王門 仁王門金剛力士像(吽形) 仁王門金剛力士像(阿形)
醍醐寺の入口です。この門をくぐると、桜の馬場とよばれる参道があります。桜の時期は参道の両端に満開の桜が咲き、桜のトンネルをつくります。その左手には庭園が見事な三宝院があります。
総門をくぐり、桜の馬場とよばれる長い参道のつきあたりにあります。西大門ともよばれ、下醍醐の伽藍入口になっています。慶長10年(1605)の建立です。京都府指定建造物。左右には、国指定重要文化財の金剛力士像が控えています。 仁王門の向かって左側。口を閉じている方が「吽形」の金剛力士像です。長承3年(1134)の建立。国指定重要文化財。 仁王門の向かって右側。口を開けている方が「阿形」の金剛力士像です。長承3年(1134)の建立。国指定重要文化財。

霊宝館(宝聚院) 清瀧宮本殿 不動堂 祖師堂
春と秋しか開館していません。醍醐寺収蔵の国宝や重要文化財などを展示しています。入れ替えが随時行われており、何度行っても新しいものがみられるようです。本館と平成館に分かれており、敷地面積は34.229平方メートルとのことです。
醍醐寺の総鎮守清瀧権現をまつっています。永長2年(1097)に上醍醐より分身を移し、まつったといわれています。現在の建物は永正14年(1517)の再建です。三間社流造り。国指定重要文化財。
堂内には、不動明王を中心に5体の明王が安置されています。建物の正面には石造りの不動明王像があります。 真言宗の開祖、弘法大師とその孫弟子で醍醐寺を創建した理源大師の座像が安置されています。弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われています。

真如三昧耶堂 伝法院大講堂 林泉と弁天堂 女人堂
もとは法華三昧堂として天暦3年(949)に創建されましたが、文明2年(1470)に焼失しました。その後は、長くなにも建てられていませんでしたが、平成9年(1997)に真如三昧堂として建てられました。本尊は金剛界大日如来。涅槃像も安置されています。 昭和5年(1930)に醍醐天皇の一千年御遠忌を記念してつくられました。大講堂を中心に広がる大林泉、弁天堂、鐘楼、地蔵堂、日月門、阿闍梨寮、伝法学院を総称して大伝法院といいます。 林泉は昭和5年(1930)に醍醐天皇の一千年御遠忌を記念してつくられました。弁天堂も同時に建立されています。桜で有名な醍醐寺にあって、このあたりは紅葉がきれいで、時期になるとおおくの観光客が訪れます。 上醍醐への登山道(参道)の入口にあたります。上醍醐が女人禁制だった時代には、女性はここまでしか行くことができませんでした。したがって、女性にとって、上醍醐の遥拝所の役割を果たしていました。ということで、山上の准胝観音の分身が祀られてもいます。

醍醐寺の桜

慶長3年3月15日(1598.04.20)に豊臣秀吉が1300人規模の大花見大会を開きました。いわゆる「醍醐の花見」です。このように、現在でも桜の名所として知られ、多くの観光客で賑わいます。総門から仁王門にいたるまっすぐな道は「桜の馬場」とよばれ、満開の時期は桜のトンネルができます。その時期の休日ともなると人出の方もかなりで、この道もゆっくりとしかすすめません。醍醐の花見は、秀吉の最晩年に催され、秀吉自身もこの約半年後に没します。さらに何と、呑気にも朝鮮出兵中に行われています。多くの諸大名が異国で戦っている最中のことです。


0230崇福寺 0232廬山寺
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