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 トップページシリーズ教科書に出てくるお寺等持院 0229等持院
教科書に出てくるお寺

萬年山
等持院
データ
所 在 地 京都府京都市北区等持院北町63
山  号 萬年山
正 式 名 萬年山等持院
別  名 特になし
宗  派 臨済宗天龍寺派
創  建 暦応2年(1341)
開  基 足利尊氏
開  山
本  尊 釈迦牟尼仏
おもな文化財
(建造物)
特になし
そ の 他 足利尊氏墓所
拝観案内
拝観料
拝観時間
交  通 京福電鉄等持院駅下車徒歩
三井寺崇福寺


年表
西 暦 元 号 出来事
1341 暦応4年
興国2年
足利尊氏が等持寺を建立。
1343 康永2年
興国4年
足利尊氏が現在の地に別院北等持寺を建立。尊氏の死後、等持院と改称。

境内紹介
山門 参道 マキノ省三像 入口
京福電鉄(通称「嵐電(らんでん)」)の等持院駅から北へ歩くと見えます。等持院の入口です。この等持院は、紅葉の隠れ名所。また、足利尊氏をはじめとした室町幕府の歴代将軍の像を安置する霊光殿があります。夢窓疎石の作と伝えられる庭園も見事。
山門から等持院の入口までの長い参道は紅葉で彩られています。 「日本映画の父」とよばれる人物。碑文によると、大正13年に最初の映画撮影所をこの等持院に創設したとあります。昭和45年7月23日の建立。 「名勝庭園、史跡木像、等持院」と書いてあります。この門をくぐったすぐのところに庫裏と方丈が建っています。

庫裏 元天竜派管長関牧翁筆・祖師像 方丈前庭 心字池1
外観は、天龍寺や相国寺といったところの造りと似ています。紅葉に彩られて鮮やかです。 天龍寺派の元管長、平成3年(1991)に87歳で没した関牧翁による祖師像です。同じものが天龍寺にもあったと思います。 方丈は元和2年(1616)に福島正則が妙心寺塔頭の海福院から移築したものといわれています。この前庭(南庭)をのぞむ広縁には参拝客が座って休んでいました。 夢窓国師の作と伝えられ、草書体の「心」の字をかたどって造られているため、「心字池」とよばれています。日本三大名園のひとつに数えられるらしいです。

心字池2 紅葉の名所 清漣亭 等持院形の灯籠
心字池の周辺は紅葉の時期になると、鮮やかな紅葉で彩られます。
等持院は紅葉の隠れ名所ともいうべきところです。境内は紅葉で彩られますが、シーズンでも観光地からは離れているせいもあり、割と人も少なくゆったりと楽しめます。 方丈の北背、書院の東にあたる美しい林泉の西北の小高いところに茶室精漣亭があります。都林泉名勝図絵に義政公(室町幕府8代将軍)好みとある珍しい武家床の貴人席です。 この灯籠は等持院形として有名との事です。

足利家十五代供養塔 足利尊氏の墓 霊光殿 等持院
等持院は足利将軍家歴代の菩提所として有名で、室町幕府15代の将軍の供養塔が建てられています。また、左右には句碑が建てられています。左側は、香川県小豆島が生んだ天才俳人赤松柳史の句碑「煩悩はたえず南瓜を両断す」。左側はその赤松柳史の高弟青山柳爲師の句碑で、「芙蓉池に風あるやなし落花舞ふ」とあります。 ここは、室町幕府初代将軍、足利尊氏公の墓です。延文3年(1358)4月建立と、今から約650年も前に建てられた古いものです。室町時代の代表的な形式をしています。 弘法大師作の地蔵尊を本尊にし、左右に達磨大師と室町幕府歴代将軍の等身大の木像を安置しています。但し、五代と十代は除かれています。木像は江戸時代初期の作。また、石清水八幡宮から移したとされる徳川家康四十二歳の時の木像もあわせて安置されています。 本尊である地蔵尊を中心に左右に歴代の室町幕府の将軍像が安置されています。

0228三井寺 0230崇福寺
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