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0209方広寺

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方広寺鐘楼
方 広 寺
所在地 京都府京都市東山区茶屋町
山  号
別  名 なし
宗  派 天台宗
本  尊
創  建 天正14年(1586)
開  基 豊臣秀吉
交  通 京都市バス 博物館三十三間堂前下車
徒歩5分
そ の 他 方広寺の鐘は日本四大鐘の一つ
他の三つは知恩院、東大寺、四天王寺

現在は小堂を残すのみですが、かつては、豊臣氏の氏寺として栄えたという歴史を持ちます。また、「国家安康・君臣豊楽」の銘で有名な、あの大坂の陣のきっかけともなった、「国家安康の鐘」が現存します。

もっと詳しく → 方広寺
歴史年表
1586年 (天正14年)豊臣秀吉が東大寺の大仏を模して大仏および大仏殿を建立。
1596年 (慶長元年)地震により大仏殿が倒壊。
1614年 (慶長19年)大仏殿などの再建を行い、大鐘が完成。方広寺鐘銘事件の引き金になる。
1662年 (寛文2年)地震で大仏殿が再び倒壊。
1973年 (昭和48年)大仏が焼失。
国家安康の鐘
(重要文化財)
 この鐘の銘に「国家安康」「君臣豊楽」の部分があり、家康は「家康の名を二分して、国安らかにさせ、豊臣を君主とする」の意味であるとして激怒しました。これは、家康が豊臣氏を滅ぼすための口実をつくったとも考えられていますが、ともあれ、これをきっかけに豊臣氏滅亡への秒読みが始まったのです。


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