父:ドン・ファン・デ・ハッソ
母:ドーニャ・マリア・アスピルクエタ
「日本にキリスト教を伝えた宣教師」
現在はスペインの一部になっているナバラ王国の地方貴族の子として生まれました。彼が生まれた場所が、ザビエル城というお城だったため、ザビエルと呼ばれています。1525年、パリ大学に入学し、そこでイグナチウス・ロヨラと出会いました。1534年、ザビエルはロヨラら6人と共にイエズス会を創設しました。その後、海外布教のため、インドやマラッカ(マレーシア)などで布教活動を行った後、鹿児島出身の日本人ヤジロウ(弥次郎)なる人物の紹介で、来日しました。1549年8月15日に鹿児島に到着し、領主の島津貴久に謁見しました。その後、平戸、山口、京都、堺、大分などで2年間布教活動を行った後、インドのゴアへ向けて日本を離れました。そして再び日本を訪れようとし、途中、中国へ入国しようとしましたが、容れられず、上川島で入国の許可を待っている最中に、体調を崩して病死しました。1619年に教皇パウルス5世によって福者に列せられ、その3年後の1622年に教皇グレゴリウス15世によってイグナチウス・ロヨラとともに聖人に列せられました。
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