写真で見る日本の歴史
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107-6
鞍馬寺
鬼一法眼社
107-7
鞍馬寺
九十九折り参道
108-1
鞍馬寺
鞍馬天狗のお面
108-2
鞍馬寺
由岐神社
京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区
鬼一法眼とは平安時代末期の伝説上の人物。安倍晴明や吉備真備と同じ陰陽師だったとされています。鬼一法眼は安倍晴明の「晴明神社」も近くにある京都の堀川一条に住んでいたといわれています。この鬼一法眼は源義経に六韜三略(りくとうさんりゃく)の兵法を授けた人物といわれています。なかでも六韜は「文、武、龍、虎、豹、犬」の六巻からなる書物で、このうち虎の巻は兵法の極意の代名詞ともなっています。
山門から続く坂道。一キロほどあります。中腹までケーブルカーもありますが、途中にも見所が多く歩いてのぼることにします。清少納言が『枕草子』で「遠くて近きもの」といった坂道です。「遠くて近きもの。極楽、くらまのつづらおり、十二月のつごもりと、正月の一日と宮のべのまつり。」
鞍馬天狗は牛若丸(後の源義経)に兵法・剣術を指導したといわれている伝説の生き物です。麓のお土産屋さんありました。鞍馬天狗は「僧正坊」とよばれ日本各地の天狗たちの総元締めとして語り継がれています。
毎年10月22日に鞍馬の火祭りが行われることで有名です。もともとは御所にあったとの事ですが、天慶3年(940)にこの地にうつされました。御所からの移動の際、道に篝火をたいて行列を照らしたことが、火祭りの起源とされています。
108-3
鞍馬寺
由岐神社拝殿の舞台造
108-4
鞍馬寺
由岐神社本殿
108-5
鞍馬寺
義経供養塔
108-6
鞍馬寺
中門
京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区
慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって現在の本殿と拝殿がつくられたといわれています。火祭りにも使用される拝殿は舞台造りで、中央に通路をとった割拝殿という珍しい形式をしています。国指定重要文化財。
火難除けのほかさまざまなご利益があるとの事です。
ここに東光坊とよばれる建物があり、牛若丸(後の源義経)が7歳から10年間住んでいたとされています。ここから毎夜奥の院まで抜け出して兵法修行に励んでいたといわれています。昭和15年(1940)にこの供養塔が建てられました。
中門はもともとは仁王門の脇に立てられていたそうですが、参道の途中に移築されました。勅使が通る特別な門だったようです。
108-7
鞍馬寺
参道
109-1
鞍馬寺
貞明皇后御休息所跡
109-2
鞍馬寺
本堂への階段
109-3
鞍馬寺
寝殿
京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区
この参道を登った先に本堂があります。
大正13年(1923)に鞍馬山へ行啓した貞明皇后が休憩した場所とのことです。
本堂への階段。頂上はもうすぐです。
大正13年(1923)に平安時代の寝殿造を忠実に型どって建立され、翌年の貞明皇后行啓時の休息所ともなりました。昭和41年(1966)に増改築された後は、如法写経会の道場となっています。
109-4
鞍馬寺
龍の手水舎
109-5
鞍馬寺
転法輪堂
109-6
鞍馬寺
翔雲臺
109-7
鞍馬寺
本殿金堂
京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区 京都府京都市左京区
龍の口から水が出ています。転法輪堂の脇にあります。
昭和44年再建。丈六の阿弥陀仏が安置されています。
中央の板石は本殿後方より出土。平安時代より鞍馬寺に伝えられ、現在も毎年8月1日から三日間行われている如法写経会の経巻を埋葬した経塚の蓋石です。二百あまりの遺物がこの下から発掘されました。
前庭の石畳は金剛床といいます。鞍馬寺の本堂は本殿金堂といいます。千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊がまつられています。本尊は秘仏で60年に一度しか見られません。また、本殿の地下は宝殿になっています。
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伊賀上野城

110-2
伊賀上野城
110-3
伊賀上野城
伊賀忍者博物館
110-4
伊賀上野城
高石垣
三重県上野市 三重県上野市 三重県上野市 三重県上野市
別名を白鳳城といいます。築城の名人、藤堂高虎によって築かれました。現在の天守閣は昭和10年のものです。伊賀忍者の里、伊賀上野市の北部にあります。
天守閣の入り口にありました。青銅製の鯱です。
忍者屋敷・忍術体験館・忍者伝承館からなります。このうち、忍者屋敷は伊賀国高山村にあった土豪屋敷を移築したものです。中はからくりがたくさんあり、ピンクの忍者の衣装を纏ったくノ一が内部を案内してくれます。
天守閣の西側にある高石垣です。高さは28メートルで大阪城に次いで二番目の高さがあるとのことです。石垣の端にはフェンスなど何も無くて危険でした。
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