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本多忠勝
Honda Tadakatsu |
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家康に仕えた猛将 |
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前 | 後  |
生没年 |
1548〜1610.12.03
天文17年〜慶長15年10月18日 |
生誕地 |
三河国蔵前(愛知県岡崎市) |
関係人物 |
父 |
本多忠高 |
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母 |
上村氏義の娘 |
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妻 |
正室 : 阿知和玄鉄の娘(見星院) |
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子 |
小松姫(真田信之正室)、もり姫(奥平家昌正室)、本多忠政、本多忠朝ほか |
名 前 |
鍋之助→本多忠勝(平八郎) |
戒 名 |
西岸寺殿前中書長誉良信大居士 |
その他 |
徳川十六神将 徳川四天王 |
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生涯 |
松平家の家臣、本多忠高の長男として、天文17年(1548)に生まれました。生誕地は、現在の愛知県岡崎市。徳川家康の腹心として、生涯運命を共にしました。姉川の戦いや三方ヶ原の戦い、長篠の戦いなど参加した合戦は57回にも及びました。愛用の槍は天下三名槍のひとつ「蜻蛉切」です。
元亀元年(1572)の一言坂の戦いでは殿軍をつとめ、その戦いぶりから、「家康に過ぎたるもの」と賞されたといわれています。
家康の関東移封時には、上総国大多喜に10万石で封ぜられ、安房の里見氏の抑えとしました。また、関ヶ原の合戦以降は、伊勢国桑名藩主として10万石(15万石とも)の領主となりました。慶長14年(1609)に嫡男、本多忠政に家督を譲り隠居。翌年に亡くなりました。 |